本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

目やみ地蔵

2016-06-20 15:55:50 | 住職の活動日記

南座を少し東へ行ったところ

雑踏にまみれて足を進めると

通り過ぎてしまうほどの入り口

 

 

小さなお堂が立っています。

最近は味もなくなり、耳も聞こえづらく

目も小さい字が眼鏡をかけても

見えにくい、

眼・耳・鼻・舌・身と五根が

不調になってきました。

ということもあり、

ここのお地蔵さま「目疾地蔵」と

早速目のことをお参りしなくては、

 

 

入り口にはかわいいお地蔵さまも、

聞くところによると、

もともとのお地蔵さまは

「雨やみ地蔵」というのが

本当の働きだったようです。

ameyami が meyami に

そしてそのハタラキを変えてきた。

ということのようでもあります。

 

鴨川にも近く、

雨が降るたびに氾濫を起し、

白河法皇も天下の三不如意として

「賀茂川の水・双六の賽・山法師」

といわれたように、

この賀茂川を治めることは

大変だったのです。

そこで、「雨やみ地蔵」さまが

建立されたとか、

 

反対に昔から、

雨乞いのお勤めはよく務められました。

雨が降りすぎても困るし、

降らなくても困る。

今も東京では取水制限とか

ダムの水もカラカラの状態です。

 

弘法大師の頃

京都の町に雨が降らなくて

雨乞いの依頼があり

弘法大師が天の竜神さまを

探してみると、

どこにもいらっしゃらなくて

調べてみると、

西寺の守敏というお坊さんが

全部の竜を封じ込めていた。

そこで、弘法大師は

中国から

「善女竜王」という竜神さまを

呼び寄せて雨を降らせた、

という話が残っています。

 

その雨乞いをした場所が

二条城の隣の

「神泉苑」という場所なのです。

二条城もこの神泉苑の池を埋めて

作ったということです。

 

それだけ大きな敷地を有していた

神泉苑です。

祇園祭の発祥もこの神泉苑が

始まりといわれています。

 

京都新聞の日曜版

英語でいろいろな神社仏閣を

説明した紙面があります。

19日は「神泉苑」でした。

興味深かったのは、

弘法大師が雨乞いをしたという

ことを英語では?

the monk Kukai performed

a rain-making prayer

雨乞いも、レインメーキング・プレイヤー

なんとも簡単になるものです。

 

今日は梅雨の晴れ間

また明日からは雨が続くようです。

東京にもどっさり雨が降ってくれる

ことを願うばかりです。

反対に、被災地の熊本では

たくさんの雨が降らないように

人間の御都合で申し訳ないのですが

そこのところなにとぞ

よろしくお願い申し上げます。

 

※目やみ地蔵、お堂に似合わず

とても大きなお地蔵さまです。

ガラス越しに見ると、

あまりの大きさにびっくりします。

また隣の「千手観音」も

指定を受けている立派な観音さま

是非お参りしてください。

   ですよ

 

 

 

  

 

 

 

 

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五陰盛苦

2016-06-18 18:53:27 | 十地経

「四苦八苦」の五陰盛苦も

なかなかわからない苦しみの一つです。

自分にとって

都合の悪いものがやって来た、

反対に、

自分にとって

都合の良いものが去っていく

という事はわかるのですが、

四苦八苦も

「三苦」に分けて見るということを

しないとはっきり見えてきません。

「苦苦」「壊苦」「行苦」という

このなかで、

「苦苦」(くく)と「壊苦」(えく)は

誰でもすぐに苦しいと

感じる苦しみです。

「行苦」というのがわからない。

「行」とは「諸行無常」の行です。

 

先日、はたと 

頷けた一文に出遭いました。

京都新聞に『楽吉左衛門』の投稿です。

「昨年末、これから始まる老後を、

山あいの小村・久多に生活の基本を

置くことにしました。

…略…

自然と自分の間に何が違うのか、

どのような隔たりがあるのか

考えてみる。

自然には「私」という主語がない。

ススキは「私は」とは言わないし、

ハトもカラスも、

ちっちゃなアリに至るまで、

私というものがなく、

互いに命を与え合う。

長い命のやりとり、

循環の中で共生しているんだよね。」

 

このなかで、

自然には私という主語がない、

ということです。

五蘊とは色というフィジカルな面と

受・想・行・識というメンタルな部分

このすべてにおいて

俺が自分が私がと固執してしまいます。

なかなか主語がない自分とは

なりにくいものです。

 

住職も譲り一切の肩書から

離れて見たものの、

「愛欲の広海に沈没し

名利の大山に迷惑して…」

と親鸞の述懐にもあるように、

なかなか捨て難いものです。

 どうしても執着してしまう。

 

人間には妙な癖があって、

すべてのものを言語化する。

言葉として考え、

考えたことに固執してしまう。

「無我」という事を言われるんですけど

五蘊皆空と、

五蘊とは実体のないものだと、

けれども、

言えば言ったことに固執して

考えれば考えたことに固執する。

 

十地経ではよく智慧という事を

やかましく、

というか中心に考えられます。

智慧、智慧と言っても

わからないのですが

固執を破るという事が

智慧のはたらきなのです。

破るというと何か力ずくで

打ち破るような気がするのですが

固執の構造をよく見ていくという事です。

 

だから「五陰盛苦」ということも

人間ほったらかしておけば

何にでも固執してそれに執着し

大変なことになっていきます。

先日のM氏も最初の時点で

すんなり謝っておけばよかった

なんだかんだ屁理屈を述べ

それに固執しだしたものだから

大変なことになってしまった。

それに加え、

自分の得た名利は捨てがたく

なおさら火に油を注いだのでしょう。

 

それこそ、

自分をよく見抜く第三者の目、

自分の都合を通すための目ではなく

明らかに見ぬく知恵があれば

大切なポストまで捨ててしまう

ことにはならなかったのかもしれません。

 

執着するものだという

智慧があれば、

何でも自分中心に考えるような

人間根性を破って智慧に立つ

智慧が主人だという意味で

「十地経」では智慧ということを

さかんに述べてあるのだと思います。

自分の分別で生きるのではなく

智慧を主人として生きる。

だからして自分の心で生きちゃいかん

自分の心を絶えず批判して

自分の心に妥協したりしてしまう

だから、転落してしまうと

でないと持ったものに支配されてしまう

金をもてばお金に、

地位や権力をもてば

持ったものに支配されてしまうと、

そこに自分をどこまでも批判できる

智慧がないと、…

 

だから、「五陰盛苦」がなぜ苦であるか

ということは、

フィジカル面でも、メンタル面でも

それがほっておけば燃え上がり

それに執着して

自分を見失い

転落してしまうと、

そこにそれを見抜く知恵がいかに必要であるか 

 

というようなことを

「十地経講義」では述べてあるようです。

 

 

 

 

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Step by Step

2016-06-16 17:21:24 | 十地経

遅々として進まないことに

少しの焦りを感じながらも、

読み続けている中で、

 

「到達点なんかありません。

無限に一歩一歩の道程なんだ。

すべてがプロセス、

道程以外にないんだと。

一歩一歩が無限であるのみならず、

その一歩一歩が

無限の一歩一歩なんだと。

人間は腰を落ち着けるところなんか

ないのだと。」

 

励まされる言葉です。

道程しかない、

到達点を目指していたつもりが

到達点はあるけど、

そこに着くつかないは問題ではなく

歩み続けることが、

それしかないというのが

人生のようです。

 

到達点にたどり着いて一服したい

早く楽になりたい、

と思うものですが、

どうも、さとりとか、ほとけさま

というのはそういうものでなく、

一歩一歩のその道程を

言っているのではないでしょうか。

 

先日の、

「アズナブール」の歌にも

そういう感じがします。

彼の舞台も完成されたものです。

でも彼から見れば

まだまだと思っているのでは

まだ自分は修行の道程なのだと、

完成されたものと思ってしまえば

あの様な歌は披露できない

と思います。

未完成であればこそ

その時その時はそれで十分に

完成されているのでは、

人から見れば

完成されたものかもしれませんが

その人にとったら

まだまだ、未完成の修行の道程

なのでしょう。

 

人は突然に去ってゆきます。

6月24日は母の命日、

91歳でした。

10月の発表会を目前に控え

日々踊りの稽古に

打ち込んでいたのです。

正直、

そのような母の姿を

知りませんでした。

ですから、今回だけは発表会へ

行こうと心に決めていたのですが、

本当に突然

去ってゆきました。

今思えば残念なことばかりですが、

母にしてみれば

幼いころから踊りが好きで

ずっと続けてきた

日々練習し、

前日も婦人会で披露するなど

どなたかの句にありましたが、

 

「まだたりぬ、

踊り踊りてあの世まで」

 

そのような母の姿でした。

一歩一歩の道程がすべてであれば

母は母として

それなりに完成されていたのでしょう。

発表会で披露することもなく

孫の結婚式で披露することを

楽しみにしていたのですが

それも果たすことなく

行ってしまいました。

 

しかし、

その踊りに打ち込んでいる

その時その時は

母として完成されていたのでは

ないかと思います。

 

いつどうなるかは分かりませんが

その時その時の一歩を

大切に歩み続けなければと思います。

 

 

 

 

 

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思い出の歌

2016-06-14 21:27:11 | 住職の活動日記

誰にでも思い出の歌はあるものです。

聞けば、その時のことを思い出し

なつかしくもその当時の思い出が

よみがえってくるものです。

 

今は便利なツールがありまして、

YouTubeとやらいうもので

昔の映像やら歌が出てきます。

そんなことがあるのは数日前

知ったのです。

 

高校生時代の思い出の曲

「トリオロス・パンチョス」

歌声に聞き惚れて

レコードを買ったのですが

そのジャケットに映っている写真

なんだか、メキシコの普通のおじさん

には驚きました。

その当時はあまり買うこともできず、

一枚のレコードを繰り返し聞き

ついには

レコード全部覚えてしまうほどでした。

 

彼女にとっては、

「シャルル・アズナブール」

やはりよく聞いたようです。

題名もわからず身にしみるほど

聞き惚れていたのでしょう。

彼の歌声は、

フランス語の響きが

語りかけるように

それが自然に歌になっている

フランス語は歌なのかと

思いたくなるような流です。

 

不思議なご縁、

もう50年以上過ぎているでしょう

そのアズナブールが

日本にやって来たのです。

 

 

中の島フェスティバルホール

三々五々それらしき人たちの群れが

集まって来ておられるようです。

私たちと同じくらいか

それよりもっと上の方か

杖をたよりに腰の曲がったご老人

体の不自由な方

やはり青春の一ページを

もう一回開くためにおみえになって

いるのではないでしょうか。

 

 

ワクワクした気持ちをおさえ

ホール前の待合で、

 

 

パンフレットを眺めながら、

しばし時間を過ごします。

 

92歳とは思えない姿で

歌い始めると、

その声は衰えることなく

昔の声にもまして重厚さというか

訴える力は以前にもまして

迫力をもって迫ってきます。

 

1時間半の公演

休憩を取ることもなく

歌い続けられる

 

歌の紹介なのか

合間にフランス語の話が

「コンバンワ」とか

挨拶するわけでもなく、

フランス語で語りフランス語で歌う

それがいい、

下手にお客に媚びることなく

自分の歌を精一杯歌う

 

まるで、魂の叫びのようにも

聞こえてくる。

北斎でしたか、

「70までの絵は焼いてしまえ

これから本物が出てくる」

と言っていたように覚えていますが

アズナブールにしても

これからがほんまもんの歌

さらに磨きがかかった歌のように

迫ってくるものがあります。

 

終わっても拍手は鳴りやまず

何回も舞台に出てこられる

もう、歌いきった

全力を出し尽くした

その姿にはアンコールは

必要無いようにも思えました。

 

杖をついていた方は

杖を忘れてしまうような

そのような姿に映りました。

後ろ姿は元気いっぱいのような

再び青春の頃を

思い出されたのではないでしょうか。

 

思えば千載一遇のチャンス

もう二度と日本公演はないのでは??

100歳記念公演があるかも…

青春時代に憧れたその歌手が

いまだ現役で昔と変わらない

歌声を披露される

本当に不思議な出会いに感謝です。

 

東京では15・16日と

NHKホールであるようです。

東京での雰囲気も味わってみたい

追っかけたい気分です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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バラ色とりどり

2016-06-12 16:15:19 | フラワー

先日の教室でたくさんの花材が

あったのでしょうか??

持って帰ってきたバラの花が

小さな器に活けられました。

 

「バラ尽くし」

 

 

とでもいいたいような、

 

 

本当に色々の色のバラがあるものです。

 

 

ピン系統や紫がかったもの、

 

 

こういう薄紫のバラ、

今はバイオの技術でどんな色でも

生み出せるのでは??

 

 

以前からある、

真紅のバラも美しい

しかし、写真になるとなかなか

本当の色は表現できないものです。

 

廃棄処分になったかもしれない

これらの花、

狭いわが家でも

いろいろなところに活けられて

見る人はわずかながら

楽しませてくれています。

 

予報通り昼からは雨になりました。

雨を愛でながら

バラを楽しむのも一つの趣です。

 

 

 

 

 

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罵詈雑言

2016-06-11 21:00:42 | 漢字

どこかの議会で「罵詈雑言」が飛び交う、

ひたすら、

不適切だが、違法ではない

という甲羅にも似た殻に閉じこもり

まともな答弁が帰って来ない。

周りも苛立ちを隠しきれない、

咬み合わない、

今となってはいろいろな思惑も絡み

本人としては自分でもどうすることも

出来なくなってしまったのでは??

苦しいご心境なのでしょう。

 

罵詈雑言、

辞書で引くと、「罵」という字

面白い部に入っている。

「あみがしら」网(ボウ)という部類に

属しています。

「网」は網(あみの古い字で、

獣を捕える網。罪人を捕える網。

というのがもともとの成り立ちの

字なのです。

ですから、

「あみがしら」の字は

あまり良い字は出てこないようです。

 

罪とか罰という字もそうですし、

今、急務が急がれている

熊本地震の「罹災証明」の

「罹」という字もあります。

テレビではこの漢字を略し

ひらがなの表現になっています。

 

「罰」という字は

罵詈雑言の「詈」と刀から出来ていて

網を打つように言葉を浴びせかける

罰はひどく責めて刀で切る

というような意味があるようです。

 

面白いのは、

警察署とか税務署とかの

「署」という字もこの部類に入ります。

もとの意味は、

網を各所において

人数を分けて置き

獲物を取る、ということが

ひいて、役所の意味になったとか。

税務署の方がおっしゃってましたが

その部署部署で権限を持ってる所

そこが署という字が付きますと、

なんだかお世話になりたくない

そういうところです。

 

人のうわさも七十五日、

ということもありますが、

天網恢恢疎にして漏らさず

ということもあります。

当のご本人にとっては

逃げ切らなければいけないのか

大衆威徳のおそれ、

とういこともあり

世論の力に屈してしまうのか

これから難しい局面です。

 

ただ一つ仏教に関する語が

「羅」という字です。

普通は音写の字として使うのですが

「般若波羅蜜多」とか、

「羅網」(らもう)というと

仏さまを飾る網になった飾り

のことを言います。

 

「网」(あみがしら)に属する言葉

あまりいい言葉はないようですが

ただ、仏教にも関する言葉もあり

少し救われた気がします。

 

 

 

 

 

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白と紫が清々しい

2016-06-11 10:19:07 | フラワー

久しぶりに花が活けられました。

 

 

孫の世話で、なかなかお花までは

手も気持ちも回らなかったのでしょう。

 

白と紫でシンプルに、

夏の花はひまわりのように

原色の花も元気が出るようで

いいのですが、

清々しさも涼を呼ぶようです。

京都も今日は30度越え、

日差しもきつく、

今までの凌ぎやすかった日々

体調管理が大変!!

 

 

真珠に似せた玉も面白いアクセント

を表しています。

 

 

細長い葉の流れるような線も美しく

全体の花を大きく流動的に

見せているのでしょう。

 

 

紫の花はなんでしょうか??

蘭の種類のようでもあるし、…

なんだか??、

東京の本部の先生がお見えになり

珍しい花材をたくさんお持ちになったようです。

 

いずれにせよ、

美しく活けられた花をしばし眺めて

久しぶりに活けられた花を楽しみました。

 

 

まあ、撮り方としては邪道かもしれませんが、

上からも見てみました。

本来は正面から見るものですが、

花の活け方の構造を見るには

上からもいいのではないでしょうか。

 

白と紫、

シンプルな色使いながら

この取り合わせに

目も心もご馳走を頂いておるようです。

 

 

 

 

 

 

 

 

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伏見稲荷大社『田植祭』

2016-06-10 20:55:26 | 住職の活動日記

本殿では田植えの神事が

執り行われています。

 

 

階段を上がっていくと、

左手に、

 

 

黄金の稲を咥えたきつねと

「萬民豊楽」(ばんみんぶらく)

の旗が、右には

 

 

「生成化育」の旗が、

すべての人々が自然のハタラキによって

豊かに食物が育ちますように

そういう願いを込めた旗の意味でしょう。

 

本殿を左にあがり、

 

 

右に行けば「千本鳥居」

 

 

 

左に行けば「神苑」とあります。

ここが御田植の場所なのです。

 

 

清められた田んぼ、

静かに田は待っているようですが、

周りには大きなカメラを構えた

カメラマンの方々が陣取っています。

 

稲が運ばれ

 

 

櫃(ひつ)の中から

お祓いを受けた稲が出され、

神事の後、

御神楽の舞とともに、

 

「山城や 稲荷の神の み田祭り

いざもろともに 行きて舞わばや」

 

 

舞が奉納され、

 

 

それに合わせて「早乙女」たちが、

 

「八束穂(やつかほ)の

稲荷のみ田におり立ちて

舞いつ奏でつ 植うる早乙女」

 

 

稲を一斉に植えはじめます。 

 

 

こういう姿が本来の田植えの姿

なのではないでしょうか。

今はすべて機械化かされていますが

自然に感謝し、そのハタラキさまの

お力を頂き、豊かに実ることを

祈念して田植えをしたのでしょう。

 

厳かな神事のなか田植は進み、

ふと足元を見ると、

 

 

大きな桜の木の根元では、

この梅雨の晴れ間を縫うように

アリさんたちが忙しく動き回って

 

 

大きな卵の大移動、

こちらでは新しい巣が

出来上がったのでしょうか?

小さい卵や大きい卵を

一生懸命運んでいます。

さいわい、この場所は柵で囲まれ

人に踏まれる心配のない

安全な場所なのです。

 

 

 

帰り道の参道、

しきりに人が通るのに

悠然と寝ています。

通りすがりの人になでなでされ、

なんとも気持ちよさそう   

よく見ると老いている様子

でも、

外国の方もタッチされ、

彼、彼女??   なりに、

国際親善に一役買っているようです。

 

帰り道の参道、両脇には

所狭しと出店が列を連ねます。

 

 

そのなかに「やきとり」、

この店は違うようですが、

このお稲荷さんではやきとりというと

「スズメ」のやきとりです。

その姿に食欲をなくしますが 

ここでは大切な稲を食べる「スズメ」を

捕ってもいいということのようです。

お稲荷さんといえば

「やきとり」が名物のようです。

 

自然の摂理

上手な共存共栄のバランスを

保っているのでしょう。

 

 

帰りの電車の中から見る

「巨椋池の田んぼ」

ここでも、もう田植は終わっているようです。

ここの稲が一番早く収穫されるようです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

     

 

 

 

 

 

 

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新幹線 「小田原駅」

2016-06-08 20:16:18 | 住職の活動日記

小田原駅、

めったに下車することはありません。

今回、初めて訪れて

新しい発見というか?

新幹線の早さに驚きました。

 

 

新幹線の線路ですが

よく見ると真中なの二本の線路

微妙に傾斜が付いているのです。

 

 

止まる線路は水平なものの

すれ違う線路は向こうの方が

上がっています。

 

ここは新幹線もスピードを緩めずに

そのままのスピードで通過していきます。

その姿を治めようというのでしょう?

幾人かの「撮りテツ」の方の姿が

カメラを構えておられます。

 

今か今かと待っていたのですが、

なにやら音がし出した、

と思って、カメラを構えようとしたら

あっという間に通り過ぎてゆきました。

あらためて200キロで走り去って行く

     新幹線

その凄さに驚きました。

 

 

近寄りがたくホームのベンチから

シャッターを切りました。

 

いつもは止まっている新幹線か

駅に入ってくるゆっくりした新幹線

それしか

見たことがなかったのですが、

または乗っている新幹線

乗っている分にはさほど

スピード感はありません。

しかし全速力で走る新幹線

間近に見るのもめったにないものです。

 

そういう意味では

この小田原駅は撮りテツには

格好の場所なのでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

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YOROIZUKA一夜城Farm

2016-06-08 19:53:23 | 住職の活動日記

一夜城跡公園と道を挟んで

鎧塚さんのレストランとケーキのお店

があります。

川島なお美さんが亡くなられる

少し前、鎧塚さんと一緒に

このレストランの前でテレビに主演して

おられました。

 

 

その場所がどこにあるのか

知らなかったのですが、

行ってみて初めてこの場所ということを

知ったのです。

 

 

この見覚えのある風景

ここで一緒に映っておられました。

 

 

この動物の作り物、

なぜこういうものがあるのだろうと

不思議に思っていたのです。

 

 

こういうブルドッグの置物も、

 

 

また、インドの象さんの置物、

 

 

ちょうど真っ赤なカンナの花でしょう

美しく咲き誇っています。

さすが、レストランはずっと満席で、

パンとコーヒーを求め、

店の前のテラスで軽めの昼食、

ところが、

ここのパンがとても美味しく、

胡桃パンもナッツがたくさん入っていて

粉もいいようでとても美々なのです

さすが、

川島さんと鎧塚さんが心を込めて

作られたお店だけのことはあります。

 

 

お土産というか自分へのですが、

買って帰った「キッシュ」がなんとも美味い!!

さすがケーキ職人が作られた「キッシュ」は

一味もふた味も違うものです。

 

平日というのにすごい人気の店です。

ひっきりなしに車の方がお見えになります。

たぶん、

ここのお店が目当てなのです。

向かいの「一夜城跡」に行かれる方は

ほとんどいらっしゃらないようです。

 

私も、先の大河ドラマ「黒田官兵衛」の時も

ここ、一夜城は出てきたのですが

気がつきませんでした。

今回、たまたま「小田原攻め」ということで

小田原城を訪れて、

この一夜城のことを知ったのです。

 

この一夜城もよくよく見ればまだまだ

面白いことが発見できそうです。

また、

「YOROIZUKA一夜城」も

今度は予約して行きたいものです。

そして、

「キッシュ」もまた食べたいものの

一つになりました。

 

 

 

 

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