本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

Step by Step

2016-06-16 17:21:24 | 十地経

遅々として進まないことに

少しの焦りを感じながらも、

読み続けている中で、

 

「到達点なんかありません。

無限に一歩一歩の道程なんだ。

すべてがプロセス、

道程以外にないんだと。

一歩一歩が無限であるのみならず、

その一歩一歩が

無限の一歩一歩なんだと。

人間は腰を落ち着けるところなんか

ないのだと。」

 

励まされる言葉です。

道程しかない、

到達点を目指していたつもりが

到達点はあるけど、

そこに着くつかないは問題ではなく

歩み続けることが、

それしかないというのが

人生のようです。

 

到達点にたどり着いて一服したい

早く楽になりたい、

と思うものですが、

どうも、さとりとか、ほとけさま

というのはそういうものでなく、

一歩一歩のその道程を

言っているのではないでしょうか。

 

先日の、

「アズナブール」の歌にも

そういう感じがします。

彼の舞台も完成されたものです。

でも彼から見れば

まだまだと思っているのでは

まだ自分は修行の道程なのだと、

完成されたものと思ってしまえば

あの様な歌は披露できない

と思います。

未完成であればこそ

その時その時はそれで十分に

完成されているのでは、

人から見れば

完成されたものかもしれませんが

その人にとったら

まだまだ、未完成の修行の道程

なのでしょう。

 

人は突然に去ってゆきます。

6月24日は母の命日、

91歳でした。

10月の発表会を目前に控え

日々踊りの稽古に

打ち込んでいたのです。

正直、

そのような母の姿を

知りませんでした。

ですから、今回だけは発表会へ

行こうと心に決めていたのですが、

本当に突然

去ってゆきました。

今思えば残念なことばかりですが、

母にしてみれば

幼いころから踊りが好きで

ずっと続けてきた

日々練習し、

前日も婦人会で披露するなど

どなたかの句にありましたが、

 

「まだたりぬ、

踊り踊りてあの世まで」

 

そのような母の姿でした。

一歩一歩の道程がすべてであれば

母は母として

それなりに完成されていたのでしょう。

発表会で披露することもなく

孫の結婚式で披露することを

楽しみにしていたのですが

それも果たすことなく

行ってしまいました。

 

しかし、

その踊りに打ち込んでいる

その時その時は

母として完成されていたのでは

ないかと思います。

 

いつどうなるかは分かりませんが

その時その時の一歩を

大切に歩み続けなければと思います。

 

 

 

 

 

コメント
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