美しいハスの花に出会いました。
白いハスは清楚な感じがします。
上からのぞくと
黄色い台(うてな)が見えています。
「蜘蛛の糸」の話にも出てきます
お釈迦さまが蓮池のほとりを
散歩されていました。
ふと池の底をのぞくと
そこには地獄の罪人たちが
うようよいます。
…
そのようなくだりで始まります。
不思議なもので蓮の花は
きれいな土では育たないのです。
以前、三室戸寺でハスの実を求め
そのままでは芽を出さないので
ヤスリを買って種に傷をつけ
植えてみました。
運よくその傷のところから
小さな芽を出してくれました。
次の年、
ハス用の肥料というものを
買って入れたのですが
そのまま種は腐って芽を出さず
残念ながらハスの栽培は
終わってしまいました。
やはりきれいな鹿沼土では
だめだったのです。
泥沼の、とあるように
汚れた泥が必要だったのでしょう。
仏教では「蓮の花」というと
とても大切な花の一つです。
仏さまはみな蓮の台に座っておられます。
今は、きれいな蓮の花と仏さまですが
その下の様子は表現はされていません。
古い仏像を見ると
ハスの花の下は茎があって
その下は泥沼があるという
そういう表現をしています。
私もついつい美しい花にとらわれて
泥の中までは見ませんでしたが、
大きな鉢には泥沼が一杯入っている
だからこそ、こういう美しい花が咲く、
私たちも上ばかり見とれてしまいます。
仏教では
「十界」(じゅっかい)ということを
説いています。
下から、
地獄・餓鬼・畜生・阿修羅
そして、人間・天人
それから仏の世界が始まり
声聞・縁覚・菩薩・仏
という具合です。
ハスの花ということは
この十界の世界を表現しています。
だから、仏さまといっても
地獄餓鬼畜生の泥沼から
生まれてきているということです。
汚れた泥沼があればこそ
こういう美しい花が咲き誇る
ということでしょう。
きれいなものばかりに
目を奪われがちですが
泥沼があればこそ美しい花を
ささえているということです。
花ばかりに目を奪われずに
たまにはそれを支えている
土にも思いをはせてみると
さらに花の美しさが見えてきて
また、愛おしくも
思えるのではないでしょうか。