本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

「石清水八幡宮」参拝

2013-12-23 21:32:27 | 住職の活動日記

 以前から気になっていたお宮さんです。

東寺のお寺も山号は 「 八幡山 」 です。

当院のご神体として八幡様をお祀りしています。

東寺には、国宝になっている

とても立派な八幡神像がお祀りしてあります。

弘法大師とのご縁も深く、

東寺には 「 互いの御影 」  ( たがいのみえい ) という

お掛け軸が残っています。

弘法大師が 「 八幡様 」 を描き、

八幡様が 「 弘法大師 」 を描いたものです。

 

 ということがあり、参拝しました。

我が家から車で15分も走れば着いてしまいます。

 

    

 

車を止めて、上がって行くと南門が見えてきます。

 

    

 

そうです、今日は天皇様のお誕生日です。

ちょうど、 「 天長祭 」 がおこなわれていました。

 

    

 

立派な本殿、眩いばかりの

朱塗りの色が飛び込んできます。

 

    

珍しく本殿には大きな矢が飾られて、

 ( 昨日、お飾りされたそうです )

お正月の準備が整っているようです。

 

   

 

本殿裏に回ると、

「 若水社 」 という小さいながらも

立派なお社が 重要文化財ということです。

 

     

 

裏側から見る本殿も朱色が鮮やかです。

この突き当りのところに、

朱色とは正反対の真っ黒い建物が見えてきます。

 

 

     

 

校倉造の 「 宝蔵 」 です。

 

    

 

いたるところにある、小さな細工物も

丁寧にみると面白い発見があります。

 

    

 

本殿には鬼瓦、 ?

お宮さんに鬼瓦、神社のようでも

お寺の雰囲気も残っています。

 

 この石清水八幡を開かれたのは

南都大安寺の 「 行教和尚 」 というお坊様です。

大分の 「 宇佐八幡 」 に籠られ、

京都の都を守れ ( 裏鬼門 ) という

御託宣を受けられて、ということです。

このころは神仏混交という、

神様も仏さまもご一緒にお祀りしていたのです。

 

    

 

南大門の前には 「 栢木 」 が、

樹齢700年とか、

栢の実からとれる油はこの八幡様の名物だったようです。

そして、その実はお供えにも使われるということです。

 

 東寺でお正月に勤められる

「 御七日御修法 」 でのお供えにも

「 栢の実 」 が使われます。

 栢の実、栢の油、その当時としては

最高のお供え物だったのでしょう。

 私たちも行に入るときには

使う念珠は 「 栢の念珠 」 です。

 

 

    

 

それから面白いことに境内には

「 エジソンの記念碑 」 があります。

お宮に 「 エジソン 」  ???

 

    

 

これは、ここの地域は 「 竹 」 の名産で

エジソンが発明した 「 フィラメントの電球 」

このフィラメントになったのがここで採れる

「 竹 」 が使われたということです。

 

 それにちなんでか、

 

    

 

記念碑の前には 「 電気自動車 」 用の

コンセントが設置してありました。

 

また、

 

    

 

「 都山流 」  の流祖の記念碑も、

当院でも毎年お盆の送り火法要でお世話になっているのが

「 都山流 」 の尺八の先生です。

 ということもあり、お礼の意味を込めて

一礼してお参りしました。

 

     

 

この石清水八幡、 上から俯瞰すると

宇治川、木津川、桂川の三本の川が合流する

地点に位置しています。

 やはり、交通、経済、軍事の要に

あたるところだったようです。

 

 天気も上々、よいお参りができました。

 

 

 

 

 

 

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上田正昭教授

2013-12-22 21:59:51 | 住職の活動日記

 面白いもので、

興味が尽きないほど

ご縁というか、話が広がっていくもので、

今日の京都新聞

第一面の 『 天眼 』 という欄に

「 上田正昭教授 」 の名前を見ました。

 

     

 

 

どこかで聞いたような  ???

 そうです    

 

 昨日お邪魔した 「 高麗美術館 」 の

館長でもあるのです。

 

 『 天眼 』  では

「 いのちの尊厳 」 について書いておられます。

 「 人権とは何か 」 と問われたら、必ず

「 いのちの尊厳を自覚し、自然のなかで

 人間が互いに新しい歴史や文化を

 共に生みだすその行動とみのり 」

と答えることにしている。

と、述べておられます。

 

 調べてみると、上田先生は

珍しい経歴の持ち主で、

神道の神主をめざし国学院大学に進まれ、

その後京都大学で歴史を学び直されて、

京都大学の名誉教授でもあるのです。

 また、大本教の出口王仁三郎とも

関係も深いようで、

ただの歴史学者ではなく、

神道を実践されるという立場から

歴史を見直しておられるところが

興味あるところです。

 司馬遼太郎さんとも対談して

本だしておられます。

 

 またぞろ、興味も出てきて

さっそく、 アマゾンで

先生の本を注文しました。

 

 最近興味あることが増えて

肝心の 「 唯識 」 を読破しようと

思っていることが、遅々として進みません。

 

 私の時間も限りあるし、

学ばなければいけないこともたくさんあるのに、

何かしら、

興味のご縁が広がり、

  …

それも、大きく言うと

まわりまわって、つながっていくと思うのですが、

「 唯識 」 「 十地経 」 を中心に

おいて、忘れず続けることが

肝心なのかな ??

と、自分を慰めながら

鞭うって、歩んでいかなくては、

と思っております。

 

 

 

 

 

 

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高麗美術館

2013-12-21 22:21:45 | 住職の活動日記

 ひょんなことから、縁が広がっていき …

アヤちゃんの診察で淀の病院へ行き

そこから近くの淀城址を見学し

そこで、唐人雁木を見つけ

その淀の雁木は朝鮮通信使が上陸した

ということにいたり、

昨日の京都新聞第一面 「 凡語 」 の欄に

「 朝鮮通信使 」 のことが掲載されていて

そこで、 「 高麗美術館 」 で、

朝鮮通信使の展示会をやっていることを知って、

さっそく今日、出かけていった次第です。

 

 その京都新聞 「 凡語 」 には

『 神彩尚如射目 ー 』

( 素晴らしい色彩が今も目を射るようです )

江戸時代後期の文人画家・池大雅が

朝鮮通信使に宛てた書簡だ。

 という文で始まっています。

 

     

 

訪れた 「 高麗美術館 」

堀川通りを北へ北大路を過ぎ北山通りを過ぎて

紫竹小学校を過ぎた路地を入った

住宅街の一角にありました。

 

 

     

 

ここの空間だけは一瞬、韓国を思わせる

佇まいを見せています。

 

  

     

 

 

 

 

 日本と朝鮮との深いつながりを感じます。

秀吉の朝鮮出兵があり、

その悪化した日朝関係を修復した江戸幕府に対して

友好の証として派遣されたのが

朝鮮通信使だったのです。

 その一行には政治家だけではなく

文人、画家、学者、楽士など

多彩なメンバーで、その行く先々で

日本の文化人と交流を交わしたのです。

 その一人が池大雅です。

「 富士山はどう描いたらいいのでしょうか 」

と、率直に訪ねています。

 

 

    

 

 その一行は500人、そしてその方を

警護やおもてなしやお世話される方を入れると

総勢2000人にもなったといいます。

 

 行く先々で大変な歓迎を受けて、

対馬から博多にとまり

瀬戸内海を 「 御座船 」 で

鞆の浦の景色を見ながら

大阪、淀川を上がり

淀の港の唐人雁木に上陸して

京都をめざし、京都で休んだのち

滋賀県の 「 朝鮮人街道 」 といわれた

野洲から彦根までを通り

ここは関ヶ原の戦いで家康が戦勝して

帰っためでたい道として

参勤交代でも通れなかった

その道を通って江戸まで

そこで将軍に会い親書を渡すという、

大変な道のりだったのです。

 

   

 

 

そして、朝鮮通信使が残した文化は

絵の世界にとどまらず

お茶の世界にも大変な影響を与えたようです。

 

 まだ、ざ~ としたことしかわかりませんが、

朝鮮と日本との深い関わりを感じます。

 

 京都新聞 「 凡語 」 では、

「 欺かず争わず 」 と

善隣外交を説いた儒学者・雨森芳洲の肖像が

来訪者を迎える。

と結んでいます。

 この雨森芳洲によって

日朝関係が修復されたのです。

 

 不思議な縁で新しい発見がありました。

 

 

 

 

 

 

 

      

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「 酒粕ラーメン 」

2013-12-20 14:56:24 | 住職の活動日記

 珍しいラーメンを頂戴しました。

 

 

    

 

「 酒粕ラーメン 」  です。

 

 そのお店は伏見にありました。

伏見は酒どころ、月桂冠・英勲・などなど

たくさんの酒屋さんが並びます。

 そして、近くには 「 御香宮 」 ( ごこうのみや )

があります。

 この神社は清泉が涌き出ていて、

これを飲むと病が治るといわれています。

 そのように伏見は元の意味は 「 伏流水 」 ( ふしみず )

が略されたものでしょう。

 

 その酒蔵にちなんで、

「 酒粕 」 を使ったラーメン、

地元のならではのラーメンです。

 

    

 

 

 京都ではよく 「 粕汁 」 を頂きます。

酒粕の香りと酒の養分も残っているのでしょう、

とても温まり、冬の一品にはもってこいの

汁ものです。

 

    

 

お店はマンションの一階にありました。

元気のいい女将さんの声、

黙々と無口で料理をされているご主人

お二人の息の合った中から生まれてくる

絶品の 「 酒粕ラーメン 」 です。

 

     

 

鶏がらと豚骨スープをベースに

醤油と酒粕で味付けしたコクのあるラーメンとあります。

 

 豚骨と鶏がらのわりにはしつこくなく

本当にコクのあるラーメンで

スープまで完食いたしました。

 

    

 

近くの駅は 「 桃山御陵前 」

駅からダッシュで3分ということです。

 

 ここからですと、車でナビが案内するように

くねくねと行ったのですが、

伏見の区役所の近く、

駐車場は近くにいろいろとあるようです。

 

 また食べたい、癖になりそうな味でした。

 

             

 

 

 

 

 

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淀城址 パート2

2013-12-19 21:49:33 | 住職の活動日記

 アヤちゃんの病院へ行ったことから、

近くの 「 淀城 」 を訪ね、

そこから、いろいろな興味もわきだし、

「 唐人雁木 」 ( とうじんがんぎ ) の石碑のことから

「 朝鮮通信使 」 のことまで話が広がってきました。

 

 以前から、どこかで聞き覚えた

「 朝鮮通信使 」 

この 「 通信使 」 という言葉が気になっていたのです。

「 通信 」 なんでこんな言葉を使ったのだろう ??

今では 「 通信 」 とは

電話、携帯、ネット、ライン  などなど

便利なものがあります。

 ところが、この 「 通信使 」 の 「 通信 」 とは

『 信 ( よしみ ) を 通 ( かよ ) わす 』

ということのようです。

 この言葉を知り、

先人たちの言葉の使い方に

深い心を感じます。

 ただ、連絡を取り合うという 「 通信 」 ではなく、

『 よしみを通わす 』

というところに、

真の人と人とのつながりがあるように思います。

 

 『 朝鮮通信使 』 については

いま、簡単に調べてみても

大変興味深いものがあります。

 淀に上がった 「 朝鮮通信使 」 

鳥羽街道を上がり、堀川五条の 本圀寺 に宿泊

松原通を東に、室町まで行き

室町通りを北に三条まで進み

三条通りを東に折れて、三条大橋から

東海道へ 江戸へ向かう  …

 とあります。

 

歩いてみたいコースです !!

 

 朝鮮通信使は約300年の間に

12回訪れています。

25年に一度の割合、

500人の通信使節団

それを警護する、お世話する人まで入れると

2000人の大行列だったようです。

 

 思いをはせながら歩くのもまた

意味深いものがあるようです。

 

 またもとに戻って 「 淀城 」 には

 

   

 

「 與杼神社 」 ( よどじんじゃ ) 

という、神社があります。

「 淀 」 は 「 與杼 」 とも書くのですね。

 

   

 

「 杼 」 チョ と読みますが

どんぐり、という意味があります。

 

    

 

これが淀城の古地図です。

三つの川に囲まれた 「 淀 」 

交通の要所、経済の要でもあった。

今はその面影も、だんだんなくなり、

その城の横には 「 京阪電車 」 淀駅が

立派な駅舎を構えています。

 

 またまた、興味ある話題が出てきましたので、

後日、 その地に触れた感想を

書いてみたいと思います。

 

 

 

 

 

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淀城址

2013-12-18 16:50:00 | 住職の活動日記

 紹介されていった動物病院、

そこは 「 淀 」 というところにありました。

淀の競馬場で有名なところです。

 その病院の前に石垣が、

 

   

 

ナビの地図で見ると、 「 淀城公園 」 とあります。

 病院の待ち時間もあったので

駆け足で、中に入ってみました。

 

   

 

淀城址という手作りの看板が見えます。

 

   その入り口には

 

   

 

水車の模型があるのです。

 調べてみると、 「 淀城水車 」  という

とても大きな水車があったようです。

 

 低い石垣を登っていくと、

 

    

 

まだ、うっすらと紅葉が残っていました。

 

    

 

中には 「 淀城の址 」 という石垣が立っています。

 

 淀城なので、かの 「 淀君 」 がいた城なのかな

と思っていましたが、どうも違うようで、

その淀城は今ではなくなっていて、

この城より500メーター北にあり、

今ではお寺になっているようです。

 

 この石垣の隣には、

 

    

 

「 唐人雁木 」 ( とうじんがんぎ ) の石碑も立っています。

本来はここにはなかったのですが、

石碑だけがこの地に移されたようです。

 

 この 「 淀 」 という場所、

「 桂川 」 「 宇治川 」 「 木津川 」 の三つの川が

交わるところです。

 で、 三つの川が寄り合う所、

寄り処 ( ヨリト ) が語源となって 

「 淀 」 という地名になったようです。

 

 対馬によって、日本にやってきた

『 朝鮮通信使 』 瀬戸内海を通り

大阪から淀川をあがり、この淀城にやって来て

休息したのがこの淀なのです。

 その船着場の上がり口を 「 雁木 」 といいます。

瀬戸内海の船着き場でも見たのですが、

階段状になった船着き場です。

潮の干満に左右されることなく

上がることができた。

その当時としては大変な発明だったのでしょう。

 

  続く

 

 

 

 

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香箱すわり

2013-12-17 13:36:41 | 住職の活動日記

 「 香箱すわり 」 

何とも優雅な名前です。

この座り方、猫ちゃんについた名前なのです。

 

 

    

 

こんな感じなのですが  …  ??

若い猫ちゃんたちや子猫はとてもかわいい座り方です。

両方の前足を丸くして胸元に収める、

その姿かたちが 「 お香の箱 」 に

似てるところからそう呼ばれたのでしょう。

 写真の 「 アヤちゃん 」 お年のせいか ?

わかりませんが、

あまりいい恰好ではありません。

 仏さまの結跏趺坐 ( 両足を組んで座る ) ではなく、

半分だけ組んで座る 「 半跏座 」 のような ??

 

 ネットで検索すると

たくさんのかわいい猫ちゃんたちを見ることができます。

 

 猫ちゃんにとってはとても気分よく

落ち着いている様子ということです。

 

      

 

膝の上で、 「 香箱すわり 」 かな 

 

 今日は病院へ行ってきました。

お不動さまに帰山するにあたり、

アヤちゃんを預かってもらわなくてはいけません。

そこで、まず検診してワクチンを受けてください、

ということで行ったのですが、

 また、 車に乗せられて …  

とても不安だったのでしょう。

ずっと泣きづめでした。

 病院で血液検査

そして、異常がなかったようだったので

ワクチンの注射   

 

 やっとの思いで帰ってくと、

また部屋中ウロウロ  

そこらの扉に手をかけて開けようと

大変なストレスだったのでしょう。

 熊本へ帰る間、預かってもらえる

猫ちゃん専用のホテルを見つけたのですが

そこでも、一人にするのは

とても大きなストレスになると思います。

 

 病院の待合室で本を見てみると、

猫ちゃんは車とかでの移動は

大きな負担になるということです。

 今月は      二泊三日で

なんとか、頑張ってくれるかと思うのですが、

来月は長期間になるということは

とても心配です。

 

 

     

 

帰ってきて、お気に入りの場所に

座ったものの、

「 香箱すわり 」 はできません、

やはり、警戒心は解けてなく

どうも、私を信用してません 

 

 熊本から、車とフェリーを乗り継いで

やっとやって来て、一週間

落ち着き始めたところで、

また病院で注射  

それは、落ち着きませんよね  

 

 信用できないものの、

ほかに頼る人もいないので、

私の足元で、私に背を向けて

不安げに警戒心を強く

  もできない様子です。

 

 猫ちゃんにとっては

どこへも行かず、いつも一緒にいることが幸せなのでしょう。

ご老体にはこの上のストレスは

させたくないのですが、

   どうしたものでしょうか  …

悩むところです。

 

 

 

 

 

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五重塔にイルカ飛ぶ !!

2013-12-15 21:12:48 | 住職の活動日記

 不思議な空間です !!

 

    

 

はるか彼方に 「 東寺の五重塔 」 を

望めます。

その前にイルカ君見事なハイジャンプ

ここは 「 KYOUTO AQUARIUM 」

こんな街の真ん中に水族館ができました。

 

 水族館は好きですね  

じっと見ていると、癒されます。

 

    

 

ちょうどお昼寝中でした。

動物の寝姿はなんともかわいいものです。

 

    

 

イソギンチャクの中で一休み、

 

    

 

大きな水槽、

黒い塊はイワシの群れです。

ウミガメもエイも大きな魚からちいさな魚まで

仲よく泳いでいます。

 

     

 

カサゴもアップで納まりました。

 

     

 

イソギンチャクも癒されます。

隣りにはイソギンチャクの赤ちゃんもいました。

小さな透明の粒、

こんな小さな中にいのちがあるのです。

 

      

 

見終わってロビーに出てくると、

ゴマアザラシの絵が、

 

     

 

ちょっと体も冷えたので、

抹茶ラテで一服、

「 九条ネギのハンバーグ 」 と

「 京漬物のホットドッグ 」

これも絶品でした。

 

      

 

外に出てくると、もう夕暮れ

 

 以前は、ここの場所は

梅小路駅、列車の基地というか

操車場の跡地だったのです。

 「 SL 」 の基地でもあり、

その吐き出す煙で東寺の廊下は

黒く汚れていた、ということを聞いていました。

 

 その跡地が水族館として生まれ変わったのです。

 

これも現代科学の成果のおかげなのでしょう。

海岸の近くではなく、

今では町の真ん中でも海水を作れるようになったといことです。

 

 また新たな京都の新名所でしょう。  

他府県の車もたくさんありました。

 

   古都に水族館  おもしろい取り合わせです。

 

 

 

 

 

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冬支度

2013-12-14 17:27:27 | 住職の活動日記

 ここのところ、厳しい冷え込みが続きます。

車の温度計は 2℃ を表示しています。

 

 

     

 

 

手洗いの蹲には薄氷が張りました。

 

 しかし、秋の名残もまだあります。

 

     

 

まだ見事な紅葉も残っています。

 

 周りの紅葉はほとんどが葉を落とし、

これも見事な風情を見せています。

 

 

     

 

葉を落とし、力を地中に蓄え

来春を待つのでしょう。

 

     

 

 

松の木には菰が巻かれています。

松の虫は大変です。

ちょっとした隙に松の木に潜り込み

あっという間に枯らしてしまいます。

こうやって 「 わら 」 を巻いて

地中に戻っていく虫たちを

巻いた藁に集めるのです。

暖かさにつられてわらに集まってくるのでしょう。

春になると、わらを外し

燃やして、松の虫退治をするということです。

 

 

     

 

 

ハスもすっかり枯れてしまいました。

しかし、ハスだけは枯れても趣があるものです。

枯れたハスの台 ( うてな ) はそれだけでも

いけばなに使っても面白いものです。

 

 ハスの実は何千年も眠っていても

いつかは目を覚ます時があります。

こうやって枯れた姿をさらしていても、

来年はしっかりした新芽をのびのびと出してくるものです。

 

 人間の中にある

仏の種も絶対に枯れることはなく

いつかは目を出すチャンスを窺っているのです。

悲しいかな、

そのチャンスを見つけることが難しいのです。

 

 生かすも殺すも

チャンスを頂いた私たちの責任なのですが、

なかなか   …

     

せっかくのチャンスを頂けないのです。

 

 寒い冬を迎えますが、

必ず、春はやってくるものです。

 

  『 手に取るな  やはり野におけ 蓮華草 』

 

自分の居場所を見つけて、

春にはしっかりとした芽を出してほしいものです。

 

      

 

 

 

 

 

 

   

 

     

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「GOUNN」 で目が覚めた !!

2013-12-13 07:20:51 | 住職の活動日記

 昨夜の TV 何気なく見ていたのですが、

「 田中マー君 」 と 「 ももいろクローバーZ 」 さんたちが

ゲストでした。

 その前から、この 「 ももいろクローバーZ 」 さん

最近の歌で、

  と見るに、 何かしら 仏教のことを

テーマにしているような、

そんな感じを持っていました。

 

 ところがです、  昨夜知ったのですが、

なんとその歌の題が 「 GOUNN 」 というのです。

仏教の 「 五蘊 」 というところから、

ということを話されていました。

 さっそくネットで見てみると、

とても詳しく書いてあります。

 

 ま~  仏教の根本概念をよくぞ歌にしてくれたものと

感心いたします。

 「 五蘊 」 というむつかしいことを

「 GOUNN 」 としてメジャーな言葉に

してくれたことはありがたいと思います。

普通には 「 五蘊 」 という言葉があることすら

わからないと思います。

 

 お経のなかでは有名な 

「 般若心経 」 の一番最初に出ています。

 『 照見五蘊皆空度一切苦厄 … 』

また、四苦八苦の中にも

 『 五蘊盛苦 』 ( ごうんじょうく )

という、一つの苦として出ています。

 

 四苦八苦の中でも、

病気になる苦とか好きな人と別れる苦とかは

わかるのですが、

わからないのが 「 生苦 」 と

「 五蘊盛苦 」 です。

 

 『 五蘊 』

「 蘊 」  とは 「 集まり 」 「 集合 」 「 集合体 」

という意味になります。

すべてのものはこの五つの集まりによって

成り立っている、ということです。

五つの中でも、

 『 色 』 はカラーではなく、物質的なもの

そして、ほかの四つは精神的なものを表します。

簡単には、

 『 受 』 苦しい楽しいという感受作用

 『 想 』 は知覚作用

 『 行 』 は意思作用

 『 識 』 は認識作用

ということです。

 

 「 GOUNN 」 という歌の中では

五人のメンバーが一人ずつ、

この五蘊の 「 色・受・想・行・識 」

に配置してあって、

物語が展開していくという構成です。

 出てくる言葉にも、

仏教用語がたくさん出てきます。

 

 そんなことがって、

頭の中が 「  GOUNN  」  「 ごうん 」 「 五蘊 」

ということで、目が覚めてしまいました。   

 

 ま~  そのことを思い浮かべて聞きなおしてみるのも

おもしいかな  ???

 

 

 

 

 

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