アヤちゃんの病院へ行ったことから、
近くの 「 淀城 」 を訪ね、
そこから、いろいろな興味もわきだし、
「 唐人雁木 」 ( とうじんがんぎ ) の石碑のことから
「 朝鮮通信使 」 のことまで話が広がってきました。
以前から、どこかで聞き覚えた
「 朝鮮通信使 」
この 「 通信使 」 という言葉が気になっていたのです。
「 通信 」 なんでこんな言葉を使ったのだろう ??
今では 「 通信 」 とは
電話、携帯、ネット、ライン などなど
便利なものがあります。
ところが、この 「 通信使 」 の 「 通信 」 とは
『 信 ( よしみ ) を 通 ( かよ ) わす 』
ということのようです。
この言葉を知り、
先人たちの言葉の使い方に
深い心を感じます。
ただ、連絡を取り合うという 「 通信 」 ではなく、
『 よしみを通わす 』
というところに、
真の人と人とのつながりがあるように思います。
『 朝鮮通信使 』 については
いま、簡単に調べてみても
大変興味深いものがあります。
淀に上がった 「 朝鮮通信使 」
鳥羽街道を上がり、堀川五条の 本圀寺 に宿泊
松原通を東に、室町まで行き
室町通りを北に三条まで進み
三条通りを東に折れて、三条大橋から
東海道へ 江戸へ向かう …
とあります。
歩いてみたいコースです !!
朝鮮通信使は約300年の間に
12回訪れています。
25年に一度の割合、
500人の通信使節団
それを警護する、お世話する人まで入れると
2000人の大行列だったようです。
思いをはせながら歩くのもまた
意味深いものがあるようです。
またもとに戻って 「 淀城 」 には
「 與杼神社 」 ( よどじんじゃ )
という、神社があります。
「 淀 」 は 「 與杼 」 とも書くのですね。
「 杼 」 チョ と読みますが
どんぐり、という意味があります。
これが淀城の古地図です。
三つの川に囲まれた 「 淀 」
交通の要所、経済の要でもあった。
今はその面影も、だんだんなくなり、
その城の横には 「 京阪電車 」 淀駅が
立派な駅舎を構えています。
またまた、興味ある話題が出てきましたので、
後日、 その地に触れた感想を
書いてみたいと思います。