いろいろ部屋の整理をしていましたら、
懐かしい写真が出てきました。
護摩を焚いている、
それも、今では貴重な写真、
東寺の御影堂にいる頃、
毎朝10年間ほど焚いていた、
そのときの写真です。
( あのころは … はあっ !
やはり わかい !? )
今では、御影堂は国宝ということもあり
この護摩堂での護摩を焚くことは
なくなってしまったようです。
弘法大師以来 「 不断護摩 」 として、
焚きつづけられてきたのです。
この護摩堂の奥に
秘仏の不動明王がお祀りしてあります。
この反対側に 「 弘法大師 」 が
安置してあります。
弘法大師の念持仏だった不動明王です。
護摩堂というより、寝殿造りの一部を
護摩を炊くスペースにしたという場所です。
だから、お参りする場所もなく、
一人がやっとお参りできるためのもののようです。
年間約15万本の護摩木を焚いていました。
だから、天井は梁の部分がむき出しになっていて
長年の護摩の煙で、その梁には煤がたくさん
付いていて、雨の日になると
湿気を含んだ煤がボッソッと落ちてきます。
そのように毎日絶え間なくすることを
「 不断 」 といいます。
だから、 「 常 」 という言葉にも通じるのです。
この 「 常 」 もおもしろくて
普通には 「 つね 」 といって、
「 平常心 」 とか使います。
で、 「 平常 」 の反対は 「 非常 」 です。
普段通りでないことを 「 非常事態 」 といいます。
仏教では、
「 常住 」 とか、その反対は 「 無常 」 でしょうか
諸行無常 の無常です。
「 常 」 とは、辞書によると
絶え間がなく ( 不断 ) 続いて尽きぬ ( 相続 ) こと。
とあります。
昨日からの続きではないですが、
「 非 とか 不 とか 無 とか 」
という言葉が 「 常 」 という
言葉を介していろいろ展開していくのは
何か不思議で面白く思います。
「 常 」 に 「 無 」 が付けば
「 無常 」 といって仏教の大切な概念です。
「 非 」 が付くと、
「 非常 」 となって普通に緊急なことになり、
また、 「 常 」 は 「 不断 」 と同じ意味にもなり
微妙に変化していくのはおもしろい !
このことはもっともっと広がり
いろんな展開を見せるのではないでしょうか ??
ま~ 「 不断 」 に何事も続けることが
大切です。
「 常々に 」 といっても同じかもしれませんが
断じることがない、「 不断 」 といったほうが
いったん否定を通すほうが、
気持ちの確かさが出てくるようです。