本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

対治と退治

2022-03-01 20:40:53 | 十地経

広辞苑では

「対治」も「退治」も

一つの言葉として出ています。

煩悩などの障害を滅すること

それから、

悪魔を降伏すること。

というように、あります。

ところが仏教辞典では

プラティパクシャという

言葉の訳で

道ドウをもって煩悩などを

断ずること、

とでてきます。

詳しくは四種の対治があって

厭患対治エンゲンタイジ

断対治ダンタイジ

持対治ジタイジ

遠分対治オンブンタイジ

と、

それぞれの修行の段階に

応じてこういう対治がある

ということです。

 

講義ではそこのところを

もう少し詳しく述べて

おられます

 

「対治ということは、

これは昔はよう考えておった

けど、これは、

対治ということは相対する。

対治の対はね、相対やね。

相対するという意味であって

障りに対して精神が、

相対して精神が歩むんだ。

 

障りは一つだけど、

精神の方が百も歩いた

ということはないんだ。

障りに対して精神が歩む。

歩むと更にその歩みを

障サえるものがある。

 

そういうわけで、

もう一遍にそれをけちけち

小出しにせずに、

一遍に一切の障りを

出してくれて、

一挙に解決したらどうか

というもんだけど、

そういうわけにはいかない。

相対的なもんですね。

 

それで一歩一歩ということが

ある。

一歩一歩。

歩みというものは、

飛躍するんじゃない。

ええ。

一歩一歩や。

学問の研究でも一歩一歩

でしょう。

そういう相対の対という字は

相対してそれを治する。

 

それで、なんか、

対して治するという、

ここになんか、

虎を退治するという

退治ではない。

虎退治というような場合の

退治ではない。

あれは退けてしまう

というだけの話であって。

経済生活があったとき、

金が足らんというと、

どっからか金を借りてきて

足らんということを

退治してしまうという、

そういうのとは違う。

それは一時逃れや。

ええ。

 

自分を形成するんです。

自分を妨げるものによって

自分を作っていく、

生産していく。

その対治ですね。」

 

思い出したのですが

「否定されるものによって

 蘇る」

というような言葉があった

と思いますが、

自分のことばかり延長しても

本当の自分にはなれず

かえって、

自分を否定するようなものに

出会ってこそ、

本当の自分になる

ということがあると思います

 

これも面白い構造で

人間というもの

自分にとって都合のいいもの

だけが成長の糧になる

のではなく、

自分にとって都合の悪いもの

こそが自分にとっての

本当の糧になる

ということです

こういう構造をもったものが

人間なのでしょう。

 

 

 

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