本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

人と法・人間と真理

2021-09-09 20:33:19 | 十地経

「仏・法・僧」と三宝と

いいますが

仏と法と僧と

僧というのはサンガといって

坊さんではなく

一切の人々を含んでいます

善人も悪人もひっくるめて

僧伽(そうぎゃ)サンガ

僧ということです

 

面白いことに

真理というのは迷った人間の

上にはたらくというのです

真理は永遠不変の真理ですが

人間がいなかったら

真理といえども眠ったままで

人間がおればこそ

その人間の上にはたらいてくる

ということです

 

講義では

「真理に障りがあるというん

じゃない。

真理は人間を超えておる。

けどその真理を得、

認識を得た人間には

障りがある。

仏教では、理というのが

別の言葉で言えば法です。

人と法、人間と真理です。

この間に非常に混乱を許さん

ものがある。

真理は人間を超えとる。

しかし

その真理は人間を超えとる

けど、

その真理は人間において

現実になる。

 

真理がはたらくという場合、

そのはたらく場所は人間。

真理を見出し、

見出された真理は、

見出した人間を超えとるけど

その見出された真理が

現実にはたらくところは

真理を見出した智慧において

はたらく。

 

真理はどこではたらくか

といえば、

智慧の、

智慧としてはたらくんです。

自分が得た智慧がですね、

自分の得た智慧がかえって

自分を変革していくんです。

 

智慧以外の何かがあって

自分を変革するんじゃない。

我々が真理を得れば、

その得た真理の認識がですね

得た自分にはたらく。

 

はたらくというのは

否定、肯定です。

得た人間を否定し、

肯定していくんだ。

つまり、断惑理証というね、

これがはたらきです。」

 

というようにでてきます。

「得た人間を否定し、

肯定していくんだ」

とありますが

ちょっと分かりにくい

ように思います。

 

真理を得たというと

これは絶対やと!

何かうぬぼれてしまうように

思ってしまいますが

そうではなく

真理を得たということは

今まで

これが絶対と思っていた

自分の自我の妄執が破られる

ということで

このことが否定です

自分が否定されない限り

本当のものははたらきようが

ありません

 

今まで、

俺が俺がと思っていた

自分の考えが根底から覆され

破られたところに

初めて真理がはたらく場所が

見つかるのです

そういうことが肯定

ということでしょう。

 

人と法、人間と真理

面白い関係ですね

そして又一番重要な問題

のようです。

 

 

 

 

 

 

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