本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

願波羅蜜

2023-10-22 17:50:35 | 十地経

布施・持戒・忍辱・精進・

禅定・智慧、という

六波羅蜜を展開して

十の波羅蜜になります

それが、方便・願・力・智

の四つです

この十波羅蜜を十地にあてて

先程の、七地が方便波羅蜜

今度は、八地の願波羅蜜です

 

願(がん)ということは

仏教の中心課題でもあります

すべての菩薩が起こす

四弘誓願(しぐせいがん)

ということがあります。

 

誓ってすべてのもを救おう

誓ってすべての迷いを断とう

誓ってすべての教えを学ぼう

誓ってこの上ないさとりに

至ろう、

 

という四つです。

経典を読んでみると

宗派を問わず必ず願という

ことが出てきます

 

このことを講義では

 

「上上(じょうじょう)の

上上に勝(すぐ)れたる、

智慧かね。

勝れたる智か。

『智を期する』。

期待するというわけです。

えー、これ願波羅蜜であると。

ここに願というようなものが

出てきたんです、

『十地経』の中に。

今、方便が出たでしょう、

第七地に。

それから八地になると

願が出てくる。」

 

先生の講義は

言葉を繰り返すように

そして噛み締めるように

それで、経典の言葉を

噛み砕いていかれるのです。

さらに続けて、

 

「願というのは

期待というようなね、ええ。

未来というような意味じゃ

なしに当来(とうらい)や。

 

普通いえば、未来というけど

未来じゃない、当来ですね。

えー、現在において既にもう

未来は先立って取っとると、

取るというわけです。

先取するというわけですね、

当来。

もう現在が、現在がただ

現在だけでなく未来を孕んで

いると。

こういうところに願がある。

 

願というものは、

できあがらんところに

願というもんがあるね、え。

できあがらんところに 

願がある。

願というのは何か求めて

いるんだから、

できあがってない。

 

しかしながら、

ただ漠然たる、

できたらいいなというような

希望じゃない。

やっぱり

期して待つというような。

未来というものを

もうすでに先取りしとると。

現在の中にまだ実現されん

未来をすでに孕んでおる

というような、

そういう一つのですね。

 

ただ未来を、

ただできたらいいな

というような意味とは

違うですね。

願というのは。」

 

仏教では「過現未同時」

ということをいいます

現在の内容は過去に自分が

やってきた行いであり

今現在やっていることは

未来の自分を作っている

ということです

ですから、現在ということは

過去を内容として

今現在の内容は未来の

自分を作っているという

そういうことを

内包しているということです

 

本当に未来を見据えた人は

現在の行いが正される

というか、ただ日を過ごす

というのではなく

目的に向かって一歩一歩の

歩みが始まっている

ということです。

 

ある面では怖いことで

どうでもいい、と思って

やっていることは

未来の、どうでもいい自分を

作り上げている

ということも言えるようです

精一杯やった今日の一日は

未来の精一杯やる自分を

作っているということです

 

そういうところに

願ということがあるのでしょう

 

 

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 修道の智慧 | トップ | 力波羅蜜(りきはらみつ) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

十地経」カテゴリの最新記事