本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

止観 と 惛沈・掉挙

2015-10-20 21:39:37 | 十地経

仏教でいう行とはつまるところ

「止観の行」に尽きると思います。

 

今天台宗の比叡山では

大阿闍梨が最後の難行と

いわれている「堂入り」に入られました。

13日から入られ明日21日未明に

出堂されます。

断食断水、不眠不臥で9日間、

傍から見れば大変な命を懸けた

難行です。

内面的には、止観の行の完成という

ことになるのでしょう。

 

 

 

十地経でも「止観」ということが

中心課題です。

その止観をさまたげる煩悩が

「惛沈」(こんじん)・「掉挙」(じょうこ)です。

 

煩悩といっても激しい荒々しい煩悩

根本煩悩といわれる、

「貪・瞋・痴」

むさぼり・いかり・ぐち

という誰にもわかりやすい

煩悩です。

ところが普段は気がつかない煩悩

もあります。

 

それは随煩悩といわれています。

随伴して起こってくる。

根本煩悩に随って起こってくる。

普段わからないというのは

非常にデリケートな煩悩です。

私たちが目的をもって

それに向かっていこうとすると、

今までは何でもなかったことが

妨げとなって浮上してくるのです。

 

仏教でいえば修行とかの

精神生活に入ったときに

見えてくる煩悩です。

その代表が「惛沈」と「掉挙」です。

惛沈は止観の「観」を妨げる

煩悩、

掉挙は止観の「止」を妨げます。

 

「惛沈」は字の形から

なにかしら心が沈んでいく

「観」という活動が起こってこない。

反対に、

「掉挙」はどちらもあげるという、

心がウキウキしてくる、

「止」という止まって静かに

思索しようとしても、

気が静まらない、

そういう随煩悩です。

 

「止観」ということも

それを妨げる煩悩から見てくと

分かる面も出てきます。

止観、動静一如ということもいえます。

止と観、正反対のものが相応する

そこで、

「止観双運」「止観双行」と

こういう言い方もあります。

止と観という二つの行です。

 

双行ということは熟練ということ

行でも繰り返しやっていくうちに

成熟していって、

先日書いた「解行」という、

解と行が一つになっていく。

 

例えば思ったのは

ラグビーの五郎丸選手、

あの練習を見ていると

練習が成熟していく、

そこにはチョーキングといわれる

難関がある、

その心は「惛沈」そして「掉挙」

という二つに悩まされたのでは??

 

何れの道にしても

それを極めようとすれば

「惛沈」「掉挙」という煩悩は

対治していかなければ

ならないものです。

 

「止観」ということを

安田先生は、

『いろいろあれこれ思うことをやめて

ものとなれ。

そうすると、ものが自分自身を

表現してくる。

こちらが表現するんじゃない。

そういう小賢しさを捨てて、

真にものとなれ。

ものをしてもの自身を語らしめる

方法がこれが止観なんです。』

 

と語っておられます。

なかなか語り尽くせませんが、

やはり仏教の中心問題です。

心の中心に据えて

間断なく熟練するように

続けなければと  …

 

 

 

 

 

 

 

 

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