「如是我聞」ということがあります、
これは非常に大事なことなのです。
経典は言葉だということが大事です。
迷っているものが、
迷いを翻して、証を得るということは、
言葉を聞く、ということしかないのです。
人間が救われるのは、
言葉によって救われるしかないのです。
仏自身、真理には言葉はないのでしょう。
だからして、迷っている人間の迷いを
翻すにためには、
迷っている人間の言葉で
語るしか仕方がないのです。
悟った人間の言葉を
そのまま出してみたところで
見当がつかないでしょう。
悟った言葉をそのまま出せば、
それは陀羅尼です。
真言密教でいう真言になります。
それは呪文ですから、
普通の人にはわかりません。
言葉によって我々は救われる。
それは迷いを翻した人の言葉を
聞くしかないのです。
それが 「如是我聞」 ということです。
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