本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

「観念しろ!」

2018-06-25 17:03:35 | 漢字

テレビの刑事ドラマで、刑事さんが

犯人に向かって

「もう観念しろ!」と

テロップが流れる。

 

妙な癖で、

「観念」。こういう時にも

使うのかと不思議に思ってしまいます

仏教の中でも哲学用語としても

一般にもよく出てくる言葉です。

 

一応、広辞苑には

①[仏]観察し思念すること。

仏陀の姿や真理などに心を集中して

よく考えること。

②あきらめること。覚悟。

③哲学用語としてもあり。

④物事に対する考え。見解。

固定観念とか。

 

仏教用語としては、

称念・観念と対句として使い

口に仏名を称えることを称念、

心に真理や仏の姿を思い浮かべる

ことを観念、

というように出てきます。

 

そこから話が広がって、

「念」ということが気になり

ちょうど、お釈迦さまが説かれた

修行に三十七道品(どうほん)

というのがあって、

その中にも、念根、念力という

ことが出てきます。

念ということは「憶念不忘」

ということがあって、

経験したことを明らかに記憶して

忘れないことということです。

 

その反対が「失念」で、

今ではよく

政治家の方が使われますが

本来は仏教用語で、

仏教では忘れることを罪といいます

「忘れました」

というと、こっぴどく叱られた

ことがあります。

心に深くとどめて忘れない

ということが修行の第一です。

 

三十七道品のなかに

四如意足(にょいそく)というのが

あって、

欲と精進と心と思惟という

如意足です。

欲とは意欲とか欲願というもので

精進は精進努力ということ

そのことを心に深く思い

そこから生まれる智慧の力によって

引き起こされる定とあります。

 

難しそうですが、

私たちが何か一つの目的を持って

実行しようとしたとき

必ずこのことが自然に行われて

いるようです。

ここのとことろ

ワールドカップから目が離せなくて

その活躍を見ていると

西野監督の采配はこの欲というか願

があって、選手も監督も努力して

集中力も切らさず

まさに四如意足が実行されている

そのような気がします。

だれでも、目的を実行しようと思えば

自然に四如意足が備わるものです。

 

それで、如意足と

如意とは意の如くと書きますから

ものごとが自分の思うようになる

ということでしょう。

「足」ということが

満足とか知足とかあるようですが

ここでは

拠り所となる、ということで

自分の願いが成就していく

拠り所としての足

辞書には面白いことが書いてあって

「その定を所依(足)として

種々の神変(即ち如意)をあらわす」

というように出てきます。

 

先日の醍醐寺の機関紙が

「神変」という名前です。

これは役行者(えんのぎょうじゃ)

が天皇より贈名として頂かれた

名前が「神変大菩薩」ということで

仏教語として出てくる

神変ということは

不思議な力(神通力)ということで

いろいろな力があるようですが

ここで言う力はパワーではなく

能力といった力でしょう。

神通力も精神通力の精が略された

ことのようで、

 

今まさにサムライブルーの

サッカー選手たちは

まさに精紳通力を得ているようで

その活躍が期待されます。

 

観念ということから

広がって神変という所まで来て

サムライブルーまで

来てしまいました。

 

 

 

 

 

 

 

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