本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

方便智

2022-04-05 19:47:21 | 十地経

ここのところ難しい

「方便」ということについて

語られておられるのですが

方便という言葉も

分かったようで分からない

言葉です

普通には、

「嘘も方便」と

それが方便は嘘だと

いうようになっています。

 

方便という言葉

ウパーヤ(upâya)といい

近づけるという意味です

本当のことに近づける

ということなのでしょう。

また

六波羅蜜(布施・持戒・

忍辱・精進・禅定・智慧)

に、方便波羅蜜

願波羅蜜・力波羅蜜・

智波羅蜜の四つを加えて

十波羅蜜と、その

七番目に方便波羅蜜が

あります。

講義では、

 

「空智に対して方便智。

空智というのは

根本的認識ですね。

空智というような

根本的な認識に対して

方便智と。

『十地経』第七地

というものの問題は

第六は空智、根本智を

取り扱っている。

根本地が現前した

というから現前地という。

 

第七地は方便智の問題。

低いようだけど、

この低いということが

非常に意味が深い、

低いということは

深いものに入るんじゃない

低いということは

深いものから始まるんだ。

深いものから始る低さだ。

浅いということが

実は深いもののはたらき

なんだ。

 

方便智というものの、

方便は嘘だと

簡単にいっているけど

その、方便が大乗なんだ。

この教学が完成した

という立派な教学という場合

方便というものが

非常にはっきりしてきた。

 

これは空智というのは

分かったんですけど、

方便智というのは

分からんものを分からせる

というのが方便や。

空智だけなら

分かったものは分かった

分からんものは分からん、

ただそれだけだ。

たもとを分かつだけ。

孤立してしまう。

オープンされん。

空智というものが

ある特定の人だけに、

閉ざされている。」

 

と続くのです

第七地も

「方便智発起殊勝の行」

という言葉で始まるように

方便ということが

中心の課題です。

 

別のところでは

 

「嘘も方便だというけど

噓は方便ではない。

方便は真(まこと)に

属するものだ。

法無我智が体なんだから。

嘘に属するものじゃない。

 

そこで

『方便智とは衆生を捨てざる

無我智なり』と

こういう。

衆生を捨てんところの

無我智なんだ。」

 

と、折に触れ

繰り返し繰り返し

方便智ということが

出てきます。

このことも分かったという

ことではなく

分からい問題なのです。

根本智というだけなら

分かる人には分かる

何かそこには

限られた人だけのこと

なのでしょう

一般の衆生という問題が

抜けています

衆生の問題ということを

考えたとき

衆生を捨てないという

それでは

智慧をどう具体化するか

そこに方便智ということが

出てくるのでしょう。

 

私たちに身近なことと

浅いようだけど

それが実は深い問題を

はらんでいるという

方便智の大事な問題が

あるようです。

アウトラインしか

分かりませんが

この問題はずっと続いていく

ようです。

 

 

 

 

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