本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

もののあわれは秋こそまされり

2020-11-30 17:48:17 | 住職の活動日記

「春はただ 

  花のひとえに咲くばかり

もののあわれは秋こそまされり」

 

という歌もありますが、

秋という季節

青々と茂っていた葉も

その役目を終えて赤く染まり

散っていく

そこに美しさというか

もののあわれを感じるのは

私たち日本人の心なのでしょう

 

 

本蔵院のアジサイも

そのままの姿で枯れています

そのアジサイの横からは

これからハタラク

彼岸花の葉が

勢いよく伸びています。

 

 

アジサイの枯れていく姿は

私はとても好きなのです

 

 

アジサイもそうですが

蓮の花の枯れ行く姿も

何かしらの風情を感じます。

 

紅葉していくということも

葉の働きを終えて

今まさに散っていくその寸前の

姿なのです

 

 

角館で撮ったもみじです

日に映えて赤の色が違います

 

 

この日は全国的に気温も高く

角館でも25度という暑さ

しかし、下をよく見ると

 

 

もう、

真っ赤な絨毯になっています。

 

枯れ行く姿に

物のあわれを感じるのは

やはり、諸行無常ということを

何かしら本能的に感じるのでしょう

元気にしていても

軈てヤガテは老病死という

現実が待っていることを

心のどこかで知っています。

 

春の勢いのある姿に

萌えいずる力を感じ

夏の暑さに一杯の葉を広げ

根に養分を蓄えていく

実りをもたらし

それぞれの木々の葉は

寒さを受けて真っ赤に染まり

散っていく

 

すべての生き物の姿なのです

散り行く一瞬に真っ赤に燃える

永遠であれば

そこに美はないと思います

死という終わりがあるから

美しい

木々たちは一つの季節で

そのハタラキとして

芽生えて生い茂り枯れていく

そしてまた、

春には命を吹き返し

成長していきます。

 

人という大きなサイクルでいえば

親から子、子から孫へと

いのちの連続性があるのです

断じながら連続する

「ごくろうさまでした」

と送るとき

その人の命は次に

引き継がれていくように

思います。

 

 

 

 

 

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