本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

老いとは何か ??

2014-04-08 18:18:21 | 住職の活動日記

 とても気になる問題です。

この頃 …   特に    

 先日、NHKスペシャル 「 人体ミクロの大冒険 」

“ 老い ” 意外な正体 !

という番組をやっていました。

 その、ゲストの先生が 「 山中伸弥教授 」 です。

とても分かりやすい説明とそれを映像化した

細胞内部の働きは驚きの連続でした。

 そして、そのお話が哲学のような

医学の分野も突き詰めていけば哲学的、

宗教的になってくるような感じです。

 印象深かったのは、

 

「 私たちがやっていることは、手のひらの上の

  ほんの一点にしか過ぎない。

  もっともっと大きな不思議な世界がある。」

 

というようなことを話されておられました。

 私たちが生きていることは奇跡に近い状態だと、

そして、細胞の方がはるかに悟っているとも

話されています。

 

 仏教でいう 「 四苦八苦 」 のなかで、

「 四苦 」 というのは 「 生・老・病・死 」 です。

人は生まれ、老いて、病んで、やがて死んでいく、

と時間軸で考えていたのですが、

どうもそうではなく、.

先生もおっしゃっていたのですが、

何時、事故が起きて死が来るかもしれない、

何時、病気になるかもしれない、

そして、いつ死が訪れるかもしれない、

と考えると、生老病死は同時進行なのだと。

 

 人間、60兆の細胞からできているそうです。

そのうち、2兆個が免疫細胞だということです。

この免疫細胞のおかげで、病気もせずに

毎日元気で暮らしているのですが、

この免疫細胞が突然、自分を攻撃してくるというのです。

自分の細胞が自分を攻撃する。

ここから、動脈硬化とか糖尿病とかが発生してくる

人間の不思議なメカニズムです。

 

 「 鉄の錆は 鉄から出て 鉄自身を滅ぼしていく 」

というようなことわざがあったと思います。

 実に、人間の煩悩も自分から出て、自分を滅ぼしていくのです。

 

 免疫細胞も仏教でいう煩悩とか

我執のようにも思います。

 煩悩というか我執というか欲といっても、

それは一面は自分を守ってくれるものです。

 わかりやすい 「 欲 」 ということでいうと、

欲には 「 五欲 」 といって五つあります。

まず、 「 食欲 」 命をつなぐためには必要な欲です。

そして、 「 睡眠欲 」 眠ることも生きる上では

大切なことです。

「 性欲 」 があります。子孫を残して

人間という種を絶やさず相続していくためには

大切な欲望です。

 この三つは生きるために命の活動として

最低限の働きです。

 この三つが満たされてくると、

「 財産欲 」 お金が欲しくなります。

そこそこお金がたまってくると、

「 名誉欲 」 というものが顔を持ち上げてきます。

色々な肩書、賞状、勲章が欲しくなってくる。

 このことも生きる上では必要なものですが、

度を過ぎてくるというか、必要以上に欲しくなる。

 「 執 」 という執着はある一面

人間を守ってくれる撥水コートのようなものです。

 食欲が無くなれば死んでしまいます。

しかし、「 執 」 が度を越して 「 我執 」 になると、

食べ過ぎて病気になってしまいます。

 「 性欲 」 も種の保存ということでは

神聖な意味を持っていますが、

他の動物と違って、人間は遊びにもしてしまう

能力も持ち合わせているのです。

そこから、いろんな葛藤劇がうまれて、

犯罪にまで発展しかねないこともあります。

 

 そういう意味では 「 免疫細胞 」 も

心の働きとしては 「 煩悩 」 というか 「 我執 」

ということと、同じような気がしました。

 

 免疫細胞も若い時までは再生されるのですが、

二十歳を過ぎるころから、胸腺という

免疫細胞がつくられる場所がなくなっていく、

あとは、残った免疫細胞をやりくりしながら

使っていくということです。

 「 老い 」 という、キーワードは

「 自分の細胞が自分を攻撃する 」

というような気がしました。

 心の中では、

「 自分の煩悩が自分を攻撃する 」

ということのようです。

 

 これからますます、細胞レベルの研究は

盛んになっていくことでしょう。

詳しくはわかりませんが、

「 P S細胞 」  とか

最近話題になっている 「 STAP細胞 」 とか、

細胞のことがもっと明晰に解明されていくことでしょう。

 

 それに先立ち、仏教では

「 唯識三年、倶舎八年 」 という言葉もあります。

「 唯識論 」 は心理学、人間の深層心理の解明

「 倶舎論 」 ( くしゃ ) は物事の分析です。

このことも自分の身近な問題として、

解明していけば、細胞学に匹敵する

おもしろいものがわかるとおもいます。

 

 所詮、私たちも 

孫悟空がお釈迦さまの掌の上で

駆けずり回っている、

そのことと同じに過ぎないのでしょう。

 

 「 老い 」 ということ

山中先生の話も仏教の立場から見ても

とても共感するものがありました。

 最後に、

 

「 60兆の細胞がそれなりに納得して

  満足して死んでいけば、

  それが最高ではないでしょうか。」

 

と、山中先生は述べておられました。

 

 

 

 

 

 

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