人しれず
人らしき
わざせしあとの
おのが心の
奥のあかるさ
人に知ってもらうように、目立つことをして、
人に少々恨みを買っても、自分の得になるように、
というのが私たちの心のようですが、
そのあとの気持ちは決して、
心地よいものではありません。
表舞台で活躍する人が
その組織を支えているように思うのですが、
本当は、誰も気が付かないところで、
人のカバーをできる人が、
その組織を支え強くしているのです。
全部の人が目立つ仕事ばかりしていると、
根無し草のような仕事になってしまいます。
人に目立たない、隠れた仕事ばかりですと、
とても損をしたような気分になります。
自分が認めてもらえない、 !! …
人間、自分のことを分かってもらう、ということが
一番うれしいものです。
しかし、自分が知っている自分とは
案外いい加減なもので、
人が見てくれる自分の姿が
案外本当のような気がします。
そして、お釈迦さまも、
「 他人の罪は見やすく
己の罪は見難い
愚者は他人の罪を吹聴し
己の罪は隠す 」
といっておられます。
自己主張の激しい昨今、
「 人知れずして … 」
ということは、逆行しているかもしれません。
しかし、
「 俺がした、 これも自分がした ! 」
と、いくら越え高々に叫んでも、
ふと静かに考えれば、
心に空しいものが残ります。
見る人は見ているものです。
まして、自分の本当の心が
自分のしていることを
一番先にちゃんと見ているものです。
もう、お盆休みに入っていることでしょう。
ご先祖さまに、
『 人しれず
人らしき
わざがせしあとの … 』
ということが報告できたら、
それが何よりの供養になるのではないでしょうか。
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