先日亡くなられた 「 川上哲治さん 」
努力の人で、現役を退かれた後も、
毎日 「 1000本 」 の素振りは欠かさなかったそうです。
最近のスポーツジムは結構ご年配の方で
賑やかになっています。
年取ったら 「 貯金 」 ですね ? いや、
「 貯筋 」 です。
私も体重が変わらないので安心してましたら、
太腿がどうも細くなっているようです。
ということは筋肉が落ちて脂肪が増えたという
細めの隠れ肥満ということらしいです。
体もさることながら、
「 脳トレ 」 、 頭も鍛えておかなければ
先日届いた、サントリーの 『 美感遊創 』
という月刊誌、今月は
「 感動こそ脳に響く 」 というテーマで
{ 若々しい脳のために } という記事が載っていました。
あえて、難しい文章に触れるのも
脳を鍛えることになるのか ? と、
わからないけど、読み砕きもできませんが、
ただ難しい文章に触れる、
これも、1000本素振り、に匹敵するものでは
と取り組んでいます。
今朝も、わからないけど響く言葉に出合いました。
観というのは 「 止観 」 という。
一切唯識と止観するということです。
止観という言葉が、これが常に 「 もの 」 の純粋な捉え方ですね。
考え方というよりも、捉え方なんです。
ものを考えるんじゃない、考えるというkとを捉える。
すなわち見るということです。
考え続けるんでもなければ、考えをやめるんでもない。
考えをよく見るということです。
普通には見えんのです。
私たちが見ていることが本当だと思っているけど、
そうじゃないんで、なかなかよくものが見えんのです。
つまり私たちにものを見る眼をさまたげているものがある。
そういうものが私たちの心の中にあるのです。
それを 「 執 」 というのです。
「 執着 」 があるのです。
なかなか意識できませんけど、
執着をとった人は良く見えるのです。
それが即ち 「 智見 」 ということです。
そういうものは悟った心で、仏の智見です。
仏の智見で初めてよくものが見られる。
… …
仏の心というのは 「 執 」 を破った、という意味です。
それよりほかに仏はないのです。
なかなか難しい !!
というより、本当に事実は簡単明快なものでしょう。
私たちの心が 「 執 」 ということで難しくしているのでしょう。
川上さんの1000本素振り、
それはひたすら、身についた自分勝手な 「 執 」 ということを
破るための鍛錬だったのです。
「 執着 」 が取れてみれば、
「 ボールが止まって見える 」 ということも、
本当の事実ということなのでしょう。
やはり、日々鍛錬 !!
難しくても読み触れていくことが …
それしかない !
ということです。
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