本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

明るく悩む

2023-04-11 20:54:07 | 十地経

「明るく悩め」

と、よく言われたものですが

悩めば暗くなるだろうと

内心は思っていたのです

今日読んでいる所で

苦の克服というか

苦のあり方について

よく述べられた箇所でした。

 

「人間が無明の心を起こして

それによって業を作って、

そうして苦しみを受けると、

普通こう考える。

人間というものがあって、

と考えるけど、

そういうものはありはしない

無明という

法があるだけだと。

 

無明という法があると

その法において

行という法が呼応して

起こってくる。

行という法から自然に

それが苦を感じ、

苦はまたそれに応じてくる。

 

そこには

法と法との連関が

あるだけじゃないか。

そうすると

どんな汚れた世界でも、

汚れた世界というものが

縁起しとるということは

汚れとらんわね。

純粋清浄だ。

 

それを見れば、

色々問題が解かれて

いくんじゃないか。

静かに解かれていく。

つまり

苦しみの世界が見えてくれば

苦しみの世界のままに

解かれてくるんじゃないか。

解かれりゃいいんだろう

と思う。

 

普通は、

苦しみのなくなることを

求める。

見ないから、

今の苦しみを何とか克服して

ないようにしようと。

そのないようにしようと

することがはや苦しんでいる

証拠です。

 

苦しみの実相を見れば、

ああそうか

というようなものだ。

苦しみがあっても

その実相が見えれば

それは法です。

迷っとったのは妄想です。

 

だから苦しみは

なくなる必要がない

じゃないか。

そこになんか、

明るく悩むと。

人間は苦しんどっても

悩めないんです。

 

苦しむ心は悩まんもんです。

わがままなもんです。」

 

というように出てきます。

ここのところは

分かったようで分からない

ような気がします

頭では、

苦の世界が見えれば

苦しみのままに解かれてくる

とありますが

苦の世界が見えてくる

ということが大変で

よくよく自分のあり方に

照らして考えていかなければ

いけないような気がします

でも、

ここの箇所は

苦からの解脱ということの

大きなヒントになるような

ところだと思います。

 

 

 

 

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