本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

「 猶若聚墨 」

2012-09-28 10:43:57 | 住職の活動日記

 『 猶若聚墨 』  ( ゆにゃくじゅもく ) と読みます。

なんとも、難しいお経の文字に出会いました。

あまり出てこない文字かな、と思っていましたが、

『 猶 』  という字は、毎朝の勤行のときのお経

『 理趣経 』  という中にも出てくるのです。

 

     

 

『 理趣経 』  のときは 「 ゆう 」 というように読みます。

「 猶 」  けものへん、がついた、この字

調べてみると面白い、

 もともとの意味は 「 猿 」 の一種で、

 疑い深い性質で、人の声聞けばいち早く木に登り

 声が止めばまた降りてくる。

そのことが転じて、 

 決断せずにためらう、意味になった  「 猶予 」

それから、 

 なお。やはり。さらに。  ということに変化し、

さらに

 なお …  のごとし。

というようになってきたようです。

 

 ここのお経では、

 「 猶 (なおし) 聚墨のごとし 」

という、読み方になるのでしょう。

 

 「 聚 」 ( しゅう )  は 「 集 」 と同じで

「 あつめる 」  ということです。

 

     

 

お経のときも  「 集 」  という字を使わなくて、

「 聚 」  を使うことが多いようです。

 

 「 猶若聚墨 」  ということは

「 今まで光り輝いていたものが、

 墨を流したように色あせてくる 」

ということでしょう。

 日常的なこととしては、

今まで大変興味を持っていたものが、

何か次に興味を引くようなものが出てくると、

今まであれだけ楽しく思っていたことが、

急に色あせてくるということでしょう。

 人との出会いもそうだと思います。

その人と出会ってからは今までの価値観が

一変してしまう。

 そういう自分を根底から変えてくれるような

出会いが必ずあるはずです。

 人に出会う、といっても、

「 こんにちわ   さようなら 」

という出会いもあれば、

ほんものに出会うというか、

真理に生きた人に出会う。

真理に出会うといっても、

真理に生きた人を通して真理に出会うのです。

 そのときに、

「 猶若聚墨 」 

今までのものが魅力を失ってくる。

 だから、なにかほんものを求めずにはおれない

という、人間の本能的な欲求があるように思います。

 

 人間にはそういう出来事が必ず起こってくるのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

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