晦日(みそか)の
「晦」という字は「くらい」と
いう意味があります。
明に対して、くらいという意
月が光り始める一日に対して
光が尽きることから、月の終わり
みそかという意味です。
その12月の一番終わりの日
おおみそか、
おおつもごり(大月尽)と
いうことのようです。
年が終わり、新しい年が始まる
ここに大きな意味があるようです
人間から仏へ
煩悩が終わるところ
それは仏が始まるところ
そういう転換点があります
ただ、
そのまま行くわけではありません
仏教では「天」という世界
天はまだ迷いの世界ですが
仏が始まるという
そういう意味も孕んでいる所です
私たちは
「忘年会」ということを
年末には行いますが
嫌なこと悲しい事、辛い事を
単に忘れてしまうのではなく
そこには
今までの一年を見直してくる
という側面があります
世界の地域によっては「恨み」
ということをずっと根に持つ
こともあるようですが
ただ、忘れてしまうということも
どういうものかと思いますが
お釈迦さまは
「恨みは恨むことによって
解決しない」
とも言っておられます
恨むから恨み返すのではなく
恨まれることの理解
そういう人たちに対する
人間理解が大切だと思うのです
やられたからやり返すのではなく
やられたことへの人々への
理解ということが
恨みということを解決する
方法ではないかと思います
今年一年のことを
忘れてしまうのではなく
一年を見直すことによって
新たな出発が出来ると思います
「今日ごとに 今日やかぎりと
惜しめども
またも今年に逢ひにけるかな」
(毎年、大晦日の今日が
めぐってくるたびに、
今年の今日が最後の大晦日かと
惜しんできたけれども
またしても今年の大晦日に
逢えたことよ)
という
藤原俊成の歌があります
俊成88歳の時の歌です
この歌を評して
「いたく老いたる人の心、
まことにこの歌のごとくなるべく
思ひやられて哀れなり」
と、本居信長はいっています。
今の世の中、
テレビやマスコミの影響でしょう
未来はとても明るく
希望に満ちて輝かしいものと
歌い上げているようですが
古典の世界では、
年の暮れは、悔恨と共にあるよう
です
だからこそ人は祈らずには
おれなかったのでしょう
新しき年が良き年であるように、
大晦日、
今年が終わり
新しい令和2年を迎える
今年という年、
やり直すことはできませんが
見直すことはできるとおもいます
見直すことによって
新しい年を迎え
更なる出発が出来るのでは
ないかと思います。
よみがえる(蘇る)という言葉
生きかえるという意味ですが
死して生まれる
ということもあります
「武士道とは
死ぬことと見つけたり」
という葉隠れの言葉もあります
「往生」ということも
そういう意味があるようにも
おもうのですが、
そういうことを思いつつ
新たな年を迎えたいものです。
どうぞ良き新年をお迎えください。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます