自分が怒れば 相手も怒る
自分が笑えば 相手も笑う
相手の顔を決めるのは
いつも こちらの 顔つきだ
真言宗の中興の祖といわれている 「 覚鑁上人 」 ( かくばん ) が記された
『 密厳院発露懺悔文 』 は、
「 われら懺悔す 無始よりこのかた 妄想にまとわれて衆罪を造る … 」
という一文で始まります。
読むたびに、こころにぐさりと響いてくる言葉です。
『 妄想 』 この一言が
いつも私たちを悩ましている、こころです。
よく人から、嫌な事をされると、ずっと心に残り、
その人を恨み続けたりします。
三浦先生からは
「 憎い人というのはもういないのですよ !
あなたは、自分の記憶に腹を立てているだけなのですよ。 」
と、よく聞かされていました。
確かに、いやみなことを言った人は、その人はもうすでに
自分が言ったことすら忘れているのです。
言われたほうにしてみれば、
「 よくも、あんなひどい事をいったものだと 」
心に深く傷ついているのですが、
よくよく考えてみれば、いわれた記憶に腹を立てているだけなのです。
そこで、一歩進んで、こころを取り直して、
「 金子みすず 」 さんの詩のように
こだまでしょうか
「 遊ぼう 」 っていうと
「 遊ぼう 」 っていう。
「 ばか 」 っていうと
「 ばか 」 っていう。
「 もう遊ばない 」 っていうと
「 遊ばない 」 っていう。
そうして、あとで
さみしくなって
「 ごめんね 」 っていうと
「 ごめんね 」 っていう。
こだまでしょうか、
いいえ、だれでも。
ということになるのでしょう。
やはり、自分が怒っているから、相手も怒って見えるのです。
こちらが、笑って接すると相手も笑ってくれます。
そういいつつも、ふと鏡に写った自分の顔を見てみると、
なんと仏頂面をしている事でしょう。
( ご用心 !! ご用心 !! です。 )
自分が笑えば 相手も笑う
相手の顔を決めるのは
いつも こちらの 顔つきだ
真言宗の中興の祖といわれている 「 覚鑁上人 」 ( かくばん ) が記された
『 密厳院発露懺悔文 』 は、
「 われら懺悔す 無始よりこのかた 妄想にまとわれて衆罪を造る … 」
という一文で始まります。
読むたびに、こころにぐさりと響いてくる言葉です。
『 妄想 』 この一言が
いつも私たちを悩ましている、こころです。
よく人から、嫌な事をされると、ずっと心に残り、
その人を恨み続けたりします。
三浦先生からは
「 憎い人というのはもういないのですよ !
あなたは、自分の記憶に腹を立てているだけなのですよ。 」
と、よく聞かされていました。
確かに、いやみなことを言った人は、その人はもうすでに
自分が言ったことすら忘れているのです。
言われたほうにしてみれば、
「 よくも、あんなひどい事をいったものだと 」
心に深く傷ついているのですが、
よくよく考えてみれば、いわれた記憶に腹を立てているだけなのです。
そこで、一歩進んで、こころを取り直して、
「 金子みすず 」 さんの詩のように
こだまでしょうか
「 遊ぼう 」 っていうと
「 遊ぼう 」 っていう。
「 ばか 」 っていうと
「 ばか 」 っていう。
「 もう遊ばない 」 っていうと
「 遊ばない 」 っていう。
そうして、あとで
さみしくなって
「 ごめんね 」 っていうと
「 ごめんね 」 っていう。
こだまでしょうか、
いいえ、だれでも。
ということになるのでしょう。
やはり、自分が怒っているから、相手も怒って見えるのです。
こちらが、笑って接すると相手も笑ってくれます。
そういいつつも、ふと鏡に写った自分の顔を見てみると、
なんと仏頂面をしている事でしょう。
( ご用心 !! ご用心 !! です。 )
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