本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

「定」の七変化

2024-03-08 20:03:19 | 十地経

定(じょう)ということは

散(さん)という言葉と

対の言葉で「定散」と

いいます

今の言葉でいえば

「集中」ということが

定という意味に近いかと

思います

反対の「散」は

心が散り乱れるという状態

今の時代、

定という心が失われ

散という心が支配している

ように感じられます

 

定という言葉

三昧という言葉の訳です

ところが、

ただそれだけではなく

色々な意味をもっています

 

講義では

「定という概念は広い意味

ですね。

禅宗の禅というようなもの

も定の一つだ。

三昧というようなものも

定の一つだ。

いろんな種類がある。

これはやっぱり、インドの

インドの精神文化という

ものを理解するためには

定という概念が非常に

大事になる。」

 

ということで

定ということを見てみると

七つあります

言葉がややっこしいですが

 

⑴サマーヒタ。等引と訳す。

 「等」というのは、

 心が浮き沈みするのを

 離れて平衡を保ち

 心身が安らかである

 という状態。

 「引」というのは、

 定力がこの心を

 引き起こすことをから

 

⑵サマーディ。三昧。

 等持と訳す。

 心が平等に摂持する。

 おさめ持タモツということ

 

⑶サマーパッティ。

 等至と訳し、

 心身が平等に至ること

 

⑷ドゥヒャーナ。

 これを禅那と音写し

 さらに「禅」と略した 

 静慮ジョウリョと訳する

 はからい(慮)を静める  

 

⑸チッタイカーグラター

 心一境性と訳し

 心を一つの対象に向けて

 集中する

 

⑹シャマタ 止と訳し

 止観の止に当たること

 邪乱を離れ想念を止めて

 心を寂静にたもつ

 

⑺ドリシュタ・ダルマ・

 スカ・ビハーラ

 現法楽住と訳し、

 現在世において定の楽し

 みの中に落ち着く

 

というようにあります、が

「定の楽しみ」という

本当に忘れている心です

楽しみという概念が今とは

違うようですが

本当の楽しみというのは

御馳走食べたり会話が弾む

ということではなく

こういう三昧というか

定に入ることなのでしょう

 

こういうところに

定といえばただ一つで

片付けてしまいますが

インドの考えではこういう

七つもあるということが

私たちの心を緻密に

分析したということです

 

難しい言葉ですが

こういう心の状態がある

ということを知っている

だけでも

心の持ちようが違うのでは

ないでしょうか。

 

 

 

 

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