この二つの言葉も
第七地の中で重要な言葉
方便行と智慧神通行とは
対比した言葉です
経典では
『方便行を具足して、
智慧神通行に得入する』
という言葉で出てきます
そこで講義では
「菩薩はこの第七地において
方便行を具足して、
方便行が満足すると。
工夫が満足すると。
満足成就すると。
そしてその、
満足成就した力によって
智慧神通行に得入する、と
こういうふうに、
方便行という概念と、
智慧神通行という概念と
対応して使われています。
ちょっと分からんけど、
智慧神通行という言葉が」
というように
やはり智慧神通行という
言葉が難しい
というのは
「神通」という言葉
固定観念があって
神通力というと分かり
にくいのです
読み方も「じんづう」と
濁って読みます
辞書にも
禅定を修めることなどに
よって得られる無碍自在な
超人間的な不思議な働き
というように出ています
さらに講義を見てみると
「神通というとはっきりせん
かも知れんけど、これは
止観といったでしょう。
止というのは、
これはつまり
三昧なんです、定です。
定という概念、
広い意味をもっています。
禅宗の禅というものも
定の一つだ。
三昧というのも定の一つ
いろんな種類がある。
止観の止というところに
神通というものが、
神通力というものがある
だから、
観というときに、
智慧もって観察するん
だから、観ね。
そういうところから
智慧神通ということが
出てきたんでしょう、
止観から。
ちょっと誤解されんように
神通ということが
何か分からんようですけど
これがさあ、
分からん方が実は
いいのか悪いのかという
我々は外ばっかり
追ったんじゃないかと
思うんです、
何か、こういう世界に
触れてね、
精神界というものを
一向知らずに過ごしてきた
外のことばっかりに
目を見張ってね。」
と続くのですが
別の講義で
「神通力」ということを
これは精神通力だと
精という字が抜けていると
こういうことを
聞いていました
「精神通力」といわれて
見ると何かしら
納得いくものがあるように
も思ってきます
仏教では「神」は
普通でいう「神さま」
ではなく、精神という内容
であるといわれます
ここの点が
私たちが誤解しやすい
ところです。
まあ、これからも
別な角度から
説いていかれると思います
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