「ひいき」漢字で書くと『贔屓』と
貝がたくさん使われた字です。
貝はお金に関係するので、
確かにそういう字も多いのです。
売り(賣)買い、もそうですし、
貨幣の貨、貪る、貧しい、
財宝、などなど
そこらに意味合いがあるのかと
調べてみると、
贔 ヒは貝を三つ重ねて
大きな亀を表すということです。
屓 キは鼻息がもとで、そこから
力を出す、ということです。
龍には子が九匹いて、
[九頭竜九鈷杵(クズリュウクコショ)
という仏具もありますが、]
その竜の子供たちはそれぞれ
得意なものがあって、
贔屓(ヒキ)という子は
重たいものを運ぶのが得意、
亀さんによく似た顔をしてます。
よく石碑の下にいる亀の形をした
こういう姿を見かけます。
この写真は「仏頂尊勝陀羅尼」という
梵字のお経が書かれています。
ちょうど東寺の御影堂の南側にあります、
居る当時はこの前で「仏頂尊勝陀羅尼」を
唱えたものです。
この贔屓(ヒキ)を辞書では亀趺(キフ)と
いっているようです。
この贔屓が強く引っ張りすぎたので
石碑が倒れた …
そこか、「ひいきの引き倒し」、
という言葉も生まれたとか??
また、依怙贔屓(えこひいき)という言葉もあり
「えこひいきして」、と子ども心に
辛い思いをしたこともあります。
商売では「御贔屓筋」とか
使うようです。
今でいう、「おっかけ」とか「ファン」
とかいうことも御贔屓筋ということ
なのでしょう。
もともとは架空の動物だったのが
人間の心の微妙な表現を表す
そういう言葉に変わってきたのは
面白いと思います。
人はみな偏った見方をするという
癖をもったもの、
ということがお経に書いてあります。
良きにつけ悪しきにつけ、
良い場合はファンになり
悪くなるといじめということに
なってくるのではないしょうか。
ひいきなく中立の立場で
人も物事も見るということは
難しいものです。
盤珪禅師の言葉に
「賀辞には必ず愁声あり、
弔辞には必ず歓声あり」
ということがあります。
目出度いことには羨む声があり
悲しい出来事にはよろこびの
声がきこえる、
というのです。
なかなか、ひいき目なく
物事を見るというのは
至難の業のようです。
そこが一番の修行なのでしょう。
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