本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

自分(じぶん)・勝進分(しょうしんぶん)

2023-11-21 20:32:47 | 十地経

「自分」という

仏教語があるのですね

ということも驚きですが

私という自分ではなく

「自の分」ということです

といっても分かりませんが

ある一つのものの本質的な

ものを「自分」といい、

また、

ある一つの行が達せられた

のを「自分」といいます。

 

「勝進分」は

勝って進むというのでなく

仏教の場合は

「勝」はすぐれたという

意味になります。

一つの行が完成し

更に進んで他の勝れた行に

進んで行くことを勝進分と

いうようにいいます。

 

講義では

「この自分、

これを自分といいましてね

それから勝進分と、

この二つね。

だからして、

一、二、三、四とあるけど

第一というのが、

その自分というのは

そのものですね。

双行分の中の一番

やっぱり主になるもの、

これが第一、

双行分の双行ということを

述べてあるのが

第一なんです。

双行そのものですね。

双行というものによって

それが展開してくると。

後は、

二、三、四というのは

展開です。」

 

ここでいうのは

双行分で

双行というのが「自分」

第二の信勝、

第三の能作大義、

第四の菩提分差別、

ということが「勝進分」

ということです。

 

一応、ここに出てくる

双行分の構造です。

中心課題の自分があって

そのことが展開してくる

勝進分があるという

ことです。

 

「自分」、「勝進分」

ということですが、

見てみると

例えば、一つの行

布施波羅蜜が達成されると

そのことが自分で

次の行に進んでいく

戒波羅蜜に進んで行くのを

勝進分というように

 

自分、勝進分ということが

回転するように進んでいく

行のあり方を表している

ものなのでしょう

こういうことがないと

行ということも

円を描くように進んでいく

ことがなくなるようです。

 

講義の話は短いのですが

「自分」・「勝進分」

という

双行分の構造という点で

知っておくことが大事だと

思いましたので。

 

コメント
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