醍醐味、
この味という字も普通には
本当の面白さ
というような意味で
使っているようです。
お寺の名前に醍醐寺という
ものもあります
このお寺の名前から
醍醐天皇という名を
頂かれた天皇もおられます
今はグルメ時代で
味というものがうるさい
ようですが
はたして本当の味という
ことが分かっているので
しょうか
仏教では「味」ミ
ということでとても厳密に
しるしています
その中には五味とか六味
また八味という
分け方もあります
以前講義の中で
「人の味覚というものは
一代や二代で作られた
ものではない
何代にもわたって作られた
ものだと」
ということを
話されていました。
講義は時間ということで
話しが続いていたのですが
少しだけ
「味」ということについて
述べておられます。
「仏教では醍醐味という。
醍醐味というのは
食べたことないもんだから
大した味だと
思っていたけど、
なーに今から思えば
チーズなんかのことや。
そういうもんだったらしい
その醍醐というような味。
やはり味という意味が…
一味というのは
何かというとね、
真如のことなんです。
一味蘊(いちみうん)
ということがあって、
真如ね。
真如法性の。
つまり存在の味なんです。
非常に深い意味がある。
生きとるということの
味なんだ。
ちょっと言えんね、
それは。
感謝する、
有難いというよな意味も、
一度言ってみてくれと
いったところで、
さあ言えんでしょう。
形がないから、ええ。
形があるなら、
何か貰ったから有難い
とか、
成功したから嬉しいと
いうけど、
形がないのだから。
けど、
形のない味の方が、
最高の味なんだ。
貰った味というのは
だいぶん安物や。」
ここでは、
生きているという味、
存在の味
こういう表現の「味」
ということが出てきます。
人生を味わうという
こともあります。
ただ食べものの味
だけではなく味わうという
そういう味もあります。
醍醐ということも
仏の教えを順に説いた
ものに五段階あるという
それを乳を精製していく
順序になぞらえたもので
乳(にゅう)
酪(らく)
生酥(しょうそ)
熟酥(じゅくそ)
醍醐(だいご)
五味といったものです。
今でも牛乳から
ヨーグルトになり
チーズになっていく
その間にも色々の形が
あるようですが
そういうものに
喩えたのでしょう。
また味についても
倶舎論クシャロンという経に
甘
醋(さく、酢・酸ともいい
すいこと)
鹹(かん、しおからい)
辛
苦(にがい)
淡(あわい)
という六味をあげています
今では甘くて柔らかいもの
が美味しさの中心に
なっているようですが
昔の人は科学もない時代に
よくもこのような味を
分析したものだと
感心します。
私たちも次第に
本当の味というものを
忘れていくような
気がするのですが、