本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

存在の秩序(他を侵さず・他に侵されん)

2023-01-23 20:46:34 | 十地経

一、ONEということも

難しい問題で、

「世界は一つ」という

歌もありますが

その世界の中心は誰か

ということで、

世界は混乱しているようにも

思うのですが、

 

ちょうど講義では、

 

「キリスト教の教学という

ものは、

人間という存在の外に

もう一つの神という存在を

考える。

人間は有限な存在だし、

神は絶対的な存在だと、他者

絶対というけれど、

人間に対したら相対になる

わけですからね、

実際いうと。

 

だが、相対であるけれども、

手が届かんと。

こういう考え方が、

他者という考え方なんです。

他の存在や。

無限というけど他の存在や。

 

そういう点からいうと

この頃やかましくいわれる

ブーバーなんかの存在論でも

やっぱり、

キリスト教の、

ユダヤ教という考え方、

ああいう伝統がある。

 

しかし、仏教では、

唯一の実在というものを

認めると、

他の絶対者を認めるというと

人間は奴隷になるより

仕方がない。

どうも、

キリスト教の信仰では

人間は奴隷になる。

僕はマルキシズムが出るのも

そのキリスト教の持っている

奴隷に対する反発、

プロテストじゃないかね。

アンチクリストというような

ことをいうのもですね、

ニーチェの。

キルケゴールなんかも

みんなそういうプロテスト

から出てくると思うですね。

 

その点、

仏教はそうじゃないんだ。

絶対が一つということは

ありはせんのであってですね

相対のままが絶対だと。

無限の相対者が、

一々が皆絶対だと。

相対の向こうに絶対が

あるんではない。

 

相対の一々が皆絶対なんだ。

絶対は無数にあると。

例えば、

そういう意味で阿頼耶識と

いうことを考えてみなさい、

唯識学で。

阿頼耶識は、唯一の阿頼耶識

というのはありゃせんです。

無量無数の阿頼耶識なんだ。

 

そんなら、

混乱せんかというと、

一つの世界なんだ。

そこは予定調和されとる

わけだ。

面白いんや、

そういうとこが。

 

つまり、

一々の絶対を統一する

絶対はないんです。

そういうものを考えると、

頭が重くなってしまう。

みな奴隷になってしまう。

 

一々が皆、事事物々が皆、

独立しているのです。

その独立者を統一する

独立者はないんです。

すべてのものは皆、

他を侵さず、

また他に侵されん。

それが、

存在の秩序なんです。」

 

どのような人でも

不可侵というか

侵すべからざる存在なのです

そういうことが平等という

ことになると思うのです。

「一」ということも

何気なく使いますが

大きな問題を含んでいると

思うのです。

 

 

 

コメント
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