本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

仏教の学問は仏になること

2023-01-06 20:26:40 | 十地経

修行という言葉も

我が身になってみると

なかなか、やりたくない

というか

進んでやろという気持ちが

起こらないものです

けれども

講義では、人間の構造として

みると

修行していくというのが

人間の本質ということです

 

「今日、学問の中心といえば

立身出世であるが、

そこには人間と学問とが

一つにならないものがある。

仏教の学問は、

仏を知るということではない

仏になることである。

仏たらしめる法を

明かにするのが仏教である。

しかも仏を知るということは

我が身を知ることである。」

 

というようにでてきます

けれども、

行ということが問題です

私たちでも

簡単には断食をしたり

滝に打たれたり

不眠不休で護摩を焚くとか

いろいろありますが

どうもそういうことだけでは

ないようです

案外、そういう目に見える

行というものは簡単で

やはり、

自分自身のエゴの対治

ということが

一番の問題です

 

本当は身に付いた雑なものを

切り落としていくのが

修行なのですが

修行したことが自慢になる

というおかしな現象が

出てくるものです。

 

私たちが一番悩むのは

コンプレックスの対治です

思い通りに行けば

有頂天になるし、優越感に

浸るものです

また反対に思い通りにいかず

自分の存在自体が

見失われてくると劣等感に

陥るものです

 

優越感と劣等感

まるっきり正反対ですが

出てくる根本は同じもので

どちらも「慢」という

煩悩です

 

「あらゆる価値から

解放される。

価値があって得意になるのを

優越感という。

価値がないことにとらわれて

いるのを劣等感という。

それを

人間は脱することができない

劣等感を埋めるために

色々な価値を求める。」

 

なかなか、こういうことが

悩むところです

そして苦しむところです。

自分では捨てたつもりでも

昔取った杵柄というか

昔のことが思い出され

捨てきれないものです。

 

そこには

さらなる自覚というか

自分自身の認識が

大切なのでしょう。

でも、分かっていても

そうスッキリと

切れないというのが

現実です。

 

だからこそ

修行という本当の行が

必要なのです

比べることもいらないし

自分のコンプレックスとの

たたかいです。

 

先日、テレビで

本当の役者とは

ということで、

誰でしたか、大御所の方

「本当の役者とは何か

それを問い続けることが

本当の役者ではないか」と

いうことを

話しておられました。

 

答えを出すより

問い続けることが

大切なのでしょう

仏に成るならないよりも

仏に成るということを

問い続けることが

大切ではないかと

思うのです。

 

 

 

 

 

 

コメント
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