本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

双行(ソウギョウ)・止観

2021-07-04 20:17:02 | 十地経

「双行」ということも

丹念に繰り返し講義され

よく記憶に残っている言葉です

 

止と観という行

普通には止観という言葉で

使いますが

止と観という二つの行

それで「双行」と十地経では

出てきます

 

「止観はシャマタ・ビバシャナ

ですが、止はやめること、

やめて観ると言う。

それは判断中止ということ

この判断というのは分別ですね。

中止というのは止める。

だから止観になる。

 

止観の止は何かというと、

判断中止だ。

そういう判断中止が

なぜ必要かというと、

判断中止という操作、

そういう一つの手続きによって

純粋意識、

純粋意識という一つの立場に

立つんです。

 

純粋意識という立場において

学問の事業が行われる。

それで判断中止という意味は

中止することによって

純粋意識というものを開く。

 

この止というのは

純粋意識に立つんです。

予定概念を離れる。

これまで持っとった考え方を

全部排除して、

それを括弧に入れる。

それを、

これまで持っとった考えを

叩き壊すといったら、

それで一生かかってしまう。

 

これを押さえりゃあれが出てくる

あれを押さえりゃこっちが

出てくると、

泥沼に足を突っ込んだ形になる。

人間の分別というものは。

だから括弧に入れる。

止めるという意味は

そういう意味だ。

叩き壊すという意味で

止めるというのでは

ないんであって、

括弧に入れてみるという。」

 

この括弧に入れてみる

ということがその当時

結構問題になり

そのことを三浦先生は

高校生に対して、

いろいろなことに

興味がわくでしょう

そのことを括弧に入れて

3年間は学問に打ち込んで下さい

というように

話しておられました。

 

私たちの心は散心サンシン

といって、見れが見たもの

聞けば聞いたことに

意識が向いて一つに定まらない

 

座禅していたら

ふと頭に浮かんだのは

3年前に隣りの婆さんに

米3合貸したのを思い出した

という話しがあります

このことも案外馬鹿にできず

私たちも気持ちが落ち着いて

くると

突然、考えもしなかったことが

ふと浮かんでくるのです

それに気を取られ

そんなこと考えたらいけない

と思うと、

また次のことが浮かんできます

 

そこで、

先生は括弧に入れると

一応、余計な考えを

なくそうとか思わないで

そのことはそのままに

括弧に入ておく

それで今は学問なり事業に

集中すると

 

これも訓練で

出来ない出来ないと思うと

なおさら出来なくなり

あれしたいこれしたい

ということは括弧に入れて

今はこれに集中と

その積み重ねが

集中力というもを鍛え上げて

いくものです

 

止観・双行

ということについては

触れられなかったのですが

一応、止と観という

止めて観る

という二つの行が双行と

いうことになる

ということです。

 

 

 

 

コメント
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