本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

僕らはみんな生きている

2021-07-02 20:44:14 | 住職の活動日記

「十地経講義」に出てきた

「どっこい俺らは生きている」

という言葉が頭にあって

いつも通うジムの壁面に

 

 

今年も顔を出していたのです

昨年は美しい花を咲かせました

誰からも注目されなかった

刈り取られることもなく

咲いた後は自然に枯れるまで

そのままの状態でした

 

そのことを思い出し

眺めていると

「僕らはみんな生きている」

という歌詞が浮かんできました

 

 ぼくらはみんな 生きている

  生きているから 歌うんだ

  ぼくらはみんな 生きている

  生きているから 悲しんだ

  手のひらを太陽に

  すかしてみれば

  真っ赤に流れる 僕の血潮

  ミミズだって おけらだって

  アメンボだって

  みんなみんな生きているんだ

  友だちなんだ

 

という歌ですけど

いつ歌っても

元気をもらうというか

本当にみんな友だちなんだ

ということが改めて

認識させられます

 

この歌もアンパンマンの歌と

同じように

やな せたかし さんの

作られた歌なのです

そこには何かメッセージというか

考えさせられるものがあります

 

それは

「生きているから悲しんだ」

というところです

2番では「うれしんだ」と

変わってきますが

そこが考えさせられるところで

 

お釈迦さまの涅槃図には

生きとし生ける

あらゆる生き物たちが

悲しんでいる姿が描かれています

それこそ、毛虫やミミズや

沙羅双樹という木までもが

悲しんで葉も白くなっています

 

それは偉い人が亡くなって

悲しいというのではありません

そこには

お釈迦さまがお生まれになって

さとりを開かれたということは

本当に生きる意味を

見出されたということです

 

もし、

お釈迦さまがいなかったら

ミミズやおけらも

いろいろな動物たちも

草や木までもが

生きる意味を

見出せないままでいた

生まれて寿命がきたら死んでいた

そこに、

お釈迦さまのさとりは

自分に代わって生きる意味を

見出してくれた

生まれてきてよかったと

そういう自覚があったと

思うのです

 

ですから、

1番の歌詞の

「生きているから悲しんだ」

ということは

生きる意味を見出さずに

死んでいくことが悲しいのです

2番になって

「生きているからうれしいんだ」

となってくるところに

やなせたかしさんの

深いメッセージのようなものを

感じるのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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