本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

実存とは「どっこい俺らは生きとるぞ」

2021-07-01 20:40:41 | 十地経

実存という言葉自体も

私には何かしっくりこない

言葉なのですが

『十地経』の講義では頻繁に

出てくる言葉です

 

簡単には、

現実存在の略なのでしょう

この言葉が哲学用語になると

厳密な解釈があります

 

講義の中では

中国仏教の悪弊という空理空論

に陥ってしまう

そういう観念の遊戯から脱出する

ことが実存ということだと

述べておられます

 

「理談の範疇から

有無といいますけど、

有か、そうじゃない無だと。

それから今度はどうなるか

というと

有でも無でもない。

無にしてまた有だと、

こうなると複雑になってくる

それでもまだあかん

ということで

非有非無亦有亦無、

(有に非ず、無に非ず、

また有でありまた無である)」

 

というように出てくるのですが

こういうことを理談というのです

(辞書には談理と出てきます)

 

「それでまだ有に

とどまっているのか

わしの方は無でまだ深いという

こういうのを空理空談じゃないか」

 

「何が実存を失わせるかと

いうと、

空理空談が失わせるんです。

実存を回復するものが願です

どっこい俺らは生きとるぞ

というものが欲なんです

どんなに虐げられて

踏みつけられても

俺は生きとるぞと、

こういうものが実存でしょう」

 

別のところでは

「人間が生きるということは

一つの存在ですけども、

しかしそれは机がある

というような意味で

人間があるんじゃない。」

というようにも出てきます

 

ただ、ものがあるのとは違う

生きてある

そういうあり方

さらに、本当の自分としての

あり方、そういうことが

実存ということでしょう

ですから、

泥臭く

「どっこい俺も生きている」

こういう言葉に響くものを

感じます。

どんな人だって

市井の片隅であろうが

どっこい生きている

こういうところに

本当の

生き方があるように思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

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