本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

シビ王の物語

2020-10-15 20:43:09 | 住職の活動日記

これは鳩と鷹の物語なのですが

鷹に追われた鳩が行者(シビ王)

のところへ逃げ込んだ。

行者はその鳩を助けようとする。

すると、

追いかけてきた鷹が

行者に向かって、

「あなたは鳩をたすけて、

よいことをしたと思っているかも

しれないが、

それならば、

鳩を食べなければ死んでしまう

私の命はどうしてくれるのか。

鳩の命をたすけるということは、

この私の命を殺すという

ことなのだ。

それはどうなるのだ」と、

こうせまった。

 

それで行者は非常に困って、

妥協案を出した。

「それでは仕方がない。

鳩と同じ重さだけの私の肉を

おまえにやろう」と。

 

小さな軽い鳩ですから、まあ、

どこの肉を削るにしても、

そうたいして削らずともよい

と思って、

自分の肉を削りとって、

はかりにのせてゆくわけです。

 

けれどもいくらのせても

鳩とつり合わない。

鳩の方が重いのです。

最後に、行者がその全身を

投げ出したときに初めて、

はかりがつり合ったという、

 

そういう物語なのですが、

なかなか考えさせられる問題です

 

どんな命であろうと、

そのいのちそのものにとって

かけがえがない。

どんな小さな命であっても、

その命そのものにとっては

全世界と同じ重さの命を

もっているわけです。

どんなちっぽけなものであろうと

命の重さは平等です。

命の重さは等しい。

虫の命は小さくて、

人間の命は重いと、

そういうわけにはいかない。

 

いつも唱える「十善戒」の

第一番目は「不殺生戒」です

何気なく唱えていますが

よく考えればここで

まずつまづきます。

食べるということは

他の命を頂く、食べるわけです

他の命を殺生するわけです。

 

では、食べないというと

それでは自分が死んでしまい

自分を殺生してしまうことに

なります。

いずれにしても殺生を

してしまいます。

 

食べれば他を殺生するし

食べなければ自分を殺生する

という大きな矛盾です。

 

ですがそんなんことは

まず考えなく

美味しくいただいています

反対に、

人間だけが、

食べらるということはありません

私たちはあらゆる命、

生き物を自分の食としている

わけです。

 

この大きな矛盾を抱えて生きている

というのが、私たちの生きてる

という現実なのです。

誰もそんなことは考えずに

生きていますが

「不殺生戒」を誓っている

私たちにとっては

常に考えなければいけない

問題のように思います。

 

いろいろ屁理屈をつけて

食べるのが当たり前のように

思っている人もいますが

動物は食べられるためにある

とか、食べられてこそ

成仏できるのだとか、

動物の目を見ると

決してそうではない

悲しそうな目をしています。

 

育てた牛を出荷される

「今日はおとなしく

 車に乗ってくれた。」

と、育てた方も寂しそうな

顔をしておられました。

どんな生き物でも生きたい

という意欲というか

生きようとしてあるものが

命なのです。

 

解決の道はないようです

せめてもの償いに

生きるという意味を見出す

命の意味を見出すという

そいうことを考え続けること

しか私たちにはできないようです

 

 

 

 

 

 

 

コメント
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