地獄には「八大地獄」という
種類があって
その一番初めに出てくる地獄が
等活地獄というところです。
殺生をした人が堕ちるところと
いわれています。
その様子は恵心僧都が書かれた
『往生要集』に詳しく出ています。
恵心僧都は源信が正式な名前です
この方は7歳で父と死別
信仰心の篤い母の影響で9歳で出家
14歳の時に得度されています
天暦10年(956)15歳の時に
村上天皇により法華八講の一人に
選ばれます。
このことを喜んで
天皇より下賜された品を
母に送ったところ
母は喜ぶどころか
源信を諌める歌を添えて
送り返してきたのです。
「後の世を渡す橋ぞと思ひきに
世渡る僧となるぞ悲しき」
まことの求道者となり給え
この母の歌によって目が覚め
さらに精進したということです。
その『往生要集』には
「等活地獄」とは、
等しく活きかえる、
等しき姿に活きかえる
という意味です。
等活地獄へ堕ちますと
獄卒が罪人を頭から切り刻んで
足の先まで切り刻んで
まったくその形をとどめなくなる
それで終わりかというと
一陣の風が吹いてきて
またもとの等しきすがたにかえる。
そしてまた始めから、
頭から切り刻まれていく、
これが繰り返し終わることがない。
ということが書いてあります。
何とも恐ろしい世界ですが
反対にされる身になって考えると
何も意識することなく
毎日このことをしている
切り刻んで日々の食卓へ上がり
食事として美味しいと言って
食べているのです
される身になると
何とむごたらしいと思うのです
立場を変えると
私たちは日々何も考えず
行っていることなのです。
等活地獄へ堕ちて
初めて、
私たちがいつも生活で
奪い続けてきたものが、
かけがえのない命であり
重いいのちであったことを
思い知らせるわけです。
そういうことを思い知る相が
等活ということです。
私たちが一生の間
奪ってきたいのちの数だけ
等活する。
つまり地獄というのは
今まで私たちが気がつかなかった
罪業の自覚を表す世界なのです。
その下には
黒縄地獄というのがあり
ここは殺生とさらに偸盗をした人
が堕ちる地獄です。
その一番下は
阿鼻地獄(無間地獄)があり
無間ですから休む間がない
という苦しみが連続している地獄
他の地獄に比べて
千倍の苦があると出ています。
それから、八大地獄には
それぞれ副の地獄が16あると
書いてるのですが、
ということは
それだけ私たちは気がつかない
けれど、地獄があるということは
それだけの罪を造っている
ということになります。
このことを思うと
必ず思い出されるのが
覚鑁カクバン上人の
「無始よりこのかた
忘想に纏われて衆罪を作る
身口意の業、常に顚倒して
過って無量不善の業を犯す」
という言葉です。
そういう懺悔サンゲがあってこそ
始めて真の力が湧いてくる
ような気がします。