本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

できる出来ないを超えてやる!

2020-01-13 20:35:19 | 住職の活動日記

できる限り力の限り精一杯やる

というのが普通なのですが

仏教では

できないことをあえてやる

というか

できるとかできないという

ことを決めないで

やるということがあります。

 

矛盾しているようにも

思えるのですが

できる事はできるし

できないことはできない

というのが正直な気持ちです

 

ところが、

菩薩の誓願ということがあって

有名なのは

「四弘誓願」

(しぐせいがん)

という菩薩の願いがあります

その第一は

「衆生無辺誓願度」

(しゅじょうむへんせいがんど)

その意味は

すべての生きとし生けるもの

すべてを目覚ましめんと誓う

ということです

常識的に考えたら

そんな事は無理に決まっています

そして他の誓願も

できるわけないことを

誓っているのです

 

できそうだからやる

できそうでないからやらない

というのはそろばんではないか

ともいえるのです

人間の自分勝手な分別で

できるとかできない

できるならやるけど

できないならやめておく

というのは

私たちの自分勝手な算盤勘定

になるのかもしれません。

 

私たちに感度をくれた

ラグビーのワールドカップ

誰も最初は

ベスト8に残るとは

思ってもいませんでした

しかし、選手たちはだれしも

負けるとは思っていなかった

絶対優勝するのだと

そういう気持ちで臨んだのです

世界の目からしても

弱小の日本がベスト8に残る

とは想像していなかったのです

しかし、

選手たちは自分たちの力を信じて

仲間を信じて力を出し切り

ベスト8を勝ち取った。

 

それから、

お経の中によく出て来る言葉に

「清浄」ということがあります

この言葉を『理趣経』では

「せいせい」と読みます

お経は面白いもので

同じ言葉が繰り返し繰り返し

出て来るのです

何回も言うのであれば

あとは、以下同文で

すませれば短くなるし

簡素化できると思うのですが

この繰り返す言葉が

とてもいいリズムを生み出して

いるのです

 

ところで

その「清浄」ということは

分かったようでわからない

何が清浄なのか

清浄の反対は染汚ですか

辞書には

「悪い行為による過失や

 煩悩のけがれ」

と、書いてあります

 

『十地経』には第二地を

「離垢地」(りくじ)といいます

垢をはなれることによって

清浄になるとでています。

垢ということは煩悩

私たちの勝手な思い込みとも

いえると思います

 

ですから、清浄ということは

私たちの考えの枠を離す

こうと思い込んで決めている

考えの枠を取り払う

つまり、

できるだけのことをやろうとか

できる見込みがあればやろう

というような

そういう自分の思い込みを外して

できる出来ないを超えて

やるというところに

人間の清浄な心が生まれる

その心に自分も感動し

人にも感動を与える

 

まさに、ラグビーのWCでの

活躍は、選手方の

できる出来ないを超えてやる

というところに大きな感動を

生んだと思います

 

できる出来ないを超えてやる

ということは一見無理なような

考えにも思えますが

そうではなく

何事かをやるというときには

当然この心がなかったら

できないということです。

 

(できるからやる

 できないならしない

 というのは人間の浅はかな

 料簡のようにも

 思えてきます)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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