本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

初子(ね)の日

2020-01-10 21:36:09 | 住職の活動日記

ネズミ年ということもあって

何かとネズミに関することが

気になるのです。

 

京都新聞で連載されている

「新古今和歌集の森を歩く」

というもの、

小林一彦さんが

執筆しておられます。

 

題 「玉箒(たまばはき)」

『初春の初子(ね)の

  今日の玉箒(たまばはき)

 手にとるからに揺らぐ玉の緒』

 

と、読み人知らずの歌があります

 

初子というのは

その月の最初の子の日で、

特に正月の最初の子の日という

ことです。

その日には野外に出て小松を引き

若菜を摘んだ。

千歳の齢をもつ松を小さな姫松の

内に根ごと引くことで、

引いた人に千年の命が宿ると

信じられていた、ということです

 

玉箒は初子日に蚕室を掃くために

使った箒で、寿命を意味する玉を

飾ってあります。

他しか正倉院の御物の中にあった

ように思います

玉箒を揺らすと魂が活発になり

邪気を払ったということです。

 

まあ、そいうことを詠った

歌なのでしょう。

天皇から玉箒を拝領したのち

揺れる玉の緒とともに

命も清らかになった

それから新年の宴になった

ということです。

 

面白いことに

万葉集にも同じ歌があり

それは大伴家持の歌とあります

それが新古今和歌集になると

読み人知らずとして

取り上げられています。

というのは当時広く知られていた

話にこのようなことがあります。

 

「高貴な姫君が寺参りに出かけた

牛車の窓から外を眺めていると

気味の悪い老法師と目が合った

翌日、

ひどく腰の曲がった法師が

姫君を訪ねてきた。

草庵で70年ほど修行に

専念していたが

お顔を拝してからは何も

手につかない。

念仏の気持ちも失せて

長年の修行も無駄になるかと

思うほど悲しくなり、

せめてもう一度お目にかかりたい

と杖にすがって泣く泣く

まかり越したという。

 

ようやく姫君と対面がかなった

老法師、今度は御手を少しの間

頂戴したいと申し出る。

姫君の手を額に押しあてて

「初春の初子の今日の玉箒

 手にとるからに揺らぐ玉の緒」

の歌を詠じ、

90年生きてきてこれほどの

喜びはない、

と泣いたという。

 

「玉の緒」には、

いのちの意味もあり、

御手をとるだけで

魂が動揺するほど感動した

と家持の歌を借りて

姫君に伝えようとしたのか

自詠に代えてその場に適し歌を

用いることは

風雅な振る舞いとされていた

作者は家持だが

名も無き老法師の純愛は

捨てがたい

それゆえ、よみびとしらず

として入集させたらしい

ということです。

 

なかなか面白い話です

こういうお坊さんと女人の話は

他にもあって、

神通力で飛んでいた仙人が

川で洗濯をしている女人の

裾の中が見えた

すると神通力をなくしてしまい

落ちてしまったとか。

 

一休さんでしたか?

同じように川で洗濯している

女人のものが見えた

すると、

「南無観世音菩薩」と

手を合わせて拝んだという

それを見た周りの人が

「スケベ坊主が!」

というと、

次のような歌を詠んだ

 

「女人をば 法の御蔵というぞ

  釈迦も達磨も

   ひょいひょいと生む」

 

ということです

皆、人というのは

女人の御蔵から生まれてから

まさにお観音さんではないか

ということです。

 

まあ、初といえば

今日は「初ヨガ」でもありました

ふと窓越しに見ると

 

 

美しい虹が出ています

今年も何かいいことありそうな

そんな気がしました。

 

 

 

 

 

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