本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

本蔵院万燈会

2019-08-11 20:59:25 | 住職の活動日記

10日の午後6時半

 

 

菩提樹苑から見る市内はまだ

明るい様子です

遥か向こうに見える阿蘇の噴煙

中岳から左に向かって棚引いています

 

 

献灯献花も立派に並び

お盆の精霊棚も

 

 

荘厳が出来ました

 

 

施餓鬼壇にお備えする

お野菜も準備が出来ています

 

香華燈明というように

お香とお花とお燈明は

もっとも大事なお供えです

仏さまにお供えするということと

同時にこの三つのお供えで

仏さまの徳も表しています。

 

お花は仏さまの慈悲を表し

お香は頭に火がつけが灰になるまで

燃え尽きるということで

精進努力を表し

お燈明は暗い世を照らす智慧の光

になります

仏さまといっても

分かったようでわからない

そこで、

仏さまとは智慧と慈悲と精進努力

と、この三つで表すのです。

 

この万燈会というのは

代々勤められてきたもので

弘法大師も高野山で勤めらました

その時の願文が有名で

 

「虚空尽き、衆生尽き、涅槃尽きなば

 我が願いも尽きなん」

 

という言葉です。

その前の言葉が

「毎年一度はこの法会を設けて

 四恩に報い奉らん」

というものです。

 

その時にふと思うのですが

私たちは日々の勤行で

何気なく唱えているのですが

「弟子某甲 盡未来際」

(でしむこう じんみらいさい)

弟子何々ということですから

そこには自分の名前が入ります

「弟子の誰それは、

未来際を尽くすまで」

仏に帰依します・法に帰依します

僧に帰依します。

と続くのです。

 

ここにも「尽くすまで」と

弘法大師と同じ

虚空尽き、衆生尽き、涅槃尽き

と、未来際を尽くす

ということを唱えています。

 

そういえば

比叡山の源信僧都も

「我々が本願を信じる信心は浅いと

しかし、本願が我々を信じる信心は

深いんだと、

我々の信心の浅いことを嘆くな」と

激励しておられます。

 

人間の心は浅いと、

しかし、

我々の心から出た菩提心は

我々が忘れても

我々を包んでいる無上菩提心は

忘れないと

そういうことを言っておられます。

 

菩提心という心に立てば

それは無限に耐えていけるのだと

私たちの人間心では

もはやこれまでと、

途中で投げ出してしまいます。

菩提心は私たちの中にあるのですが

普通は気が付かない

アルティメイトコンサーンに

目覚める

究極的関心が起こってくる

そういう突き動かされるよな心に

非日常的な心、

日常的な心を破っていくような

そういう心が眠っている

そういうことを金剛という

象徴的な心で表すのでしょう。

 

弘法大師の願文も

そういう無上菩提心ということを

表現されたのだと思います。

 

万燈会のお勤めが進んでいく頃

次第に暗くなり

万燈の光も鮮やかに輝きだし

有限な世界を作り上げていきます。

 

法要も終わり

「鳳笙」の妙なる響きの中

ご先祖様をはじめ

一切の精霊もゆっくりとした

ひと時を過ごされたことと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする