本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

見取見(けんしゅけん)

2018-05-21 20:45:08 | 十地経

仏教では「見」ということが

一番の中心課題です。

お釈迦さまの最初の教えに

「四諦・八正(聖)道」

(したい・はっしょうどう)

ということがあります。

四諦-四つの正しい真理

諦とは、あきらめるという字ですが

真理という意味があり、

あきらめるということも

仕方なしにあきらめる

というのではなく、

物事を本当に明らかに見る

ということです。

第1は、

 迷いのこの世はすべてが苦である

第2は、

 苦の原因は求めて飽くなき愛執

 である

第3は、

 その愛執の絶滅が究極の理想の 

 境地である

第4は、

 このような苦滅に趣くには

 八聖道の修行によらねばならない

ということです。

 

その八聖道の中心は

「正見」正しくものごとを見る

ということです。

 

「見」というと仏教では

自分勝手な自己本位の見方

ということで、悪見といいます。

見というと悪見になりますので

正しい場合は「正見」といいます。

 

「見」というのも煩悩の一つで

この自分勝手な見方はさらに詳しく

五つに分けて説明してあります。

 

最近の情勢を見ていて、

なにかしら心配なような

それぞれが自分本位で動いて

いるような気がしてならないのです

 

ちょうど読んでいる『唯識』

のなかに、

「見取見」という一つの

悪見を見て頷くことがあったのです

 

「見取見」

見(考え)を取(固執)した見

(考え)ということになります。

これは思想的なことです。

自分で考えたり、

人から教えられたりして、

こういう煩悩が起こってきます。

考えることは悪くないのですが

ところが悪い癖で、

自分の考えたことは間違いない

と固執するのです。

そして、それを振り回す。

これが見取見といわれるものです。

見は悪くない、が

取見が悪い。

振り回すということで、

これがあると必ず争いの元になる

といわれています。

 

人間はいろいろな立場で、

いろいろなことを考える。

年寄りは年寄りらしく

ものを考えるし、

若い人は新しい時代に生れて

新しい考え方をする。

国の代表も国のことを思って

国の方向を考える

それはなにもさしつかえない。

ただ、

自分が一番偉くて、

自分の考えが一番正しいのだと

固執して譲らない

これが一番困る

それは喧嘩の種、争いの元になる

 

先日も

国連の会議の席で

何とかファーストと言っている国の

代表の方、

自分の言うことだけ言って

相手の話は聞かず

退席されてしまった。

 

自分が一番というのは

まだいいとしても

相手の話、立場も聞かない

というのは一番困る

 

経典には

「五濁悪世」(ごじょくあくせ)

ということが出ている

世の中の五つの汚れ

その中に「見濁」(けんじょく)

ということがあります。

自分が一番という考え

そしてそれを振り回している

こういう思想・考えの汚れを

「見濁」というのでしょう。

 

いつの時代でも

こういう問題があったことに

驚かされます。

何も今に始まったことでなく

お釈迦さまの時代から

「見取見」という

人間の煩悩を見出して

こういう問題に答えているという

ことです。

 

いつでも

「見取見」ということが

争いの元になっている

今も、

非常に危険なものを感じます

そのために

大勢の人が亡くなっている。

他の立場も理解し認め合い

何とか共存する方法は

ないものでしょうか。

対話ということが

今こそ必要に思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

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