本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

一水四見の喩え(いっすいしけん)

2018-05-13 17:13:02 | 住職の活動日記

昨日とは打って変わって

朝から雨

宇治には洪水注意報も出る

きつい雨です。

 

この雨で木々たちは

 

 

喜んでいることでしょう

 

 

これから葉を茂らせて

力を蓄え

秋には紅葉を見せて

一年の働きを終えます。

 

そこに雨を喜ぶように

青ガエルが出て来ています

 

 

 

最近は蛙の姿を見ることも

少なくなりました

カメラに驚いたのかあわてて

壁に飛び移りました。

 

 

カエルにとってはこんな壁なんか

へっちゃらで飛びつくのですね。

 

激しい雨の中を歩くのは

いっぺんに足元はずぶ濡れです。

 

一つのたとえとして

「一見四水」

ということがあります。

一つの水でもそれを見る人によって

全く違った世界になります。

 

この言葉は、

一境四心とも一処四見ともいいます

見るものによっては同一のものも

異なったものとして見える

ということです。

私たちにとっては水ですが

魚にとっても棲家であり

餓鬼にとっては膿血と見え

天人にとってはたくさんの宝石で

荘厳した地とみる

ということです。

 

今日はたまたま唯識の講義

こういう考え方も

唯識の考え方でしょう。

 

環境というものは

そういう世界があるのではなく

私たちが作り出している

ということです。

今日の雨も激しい雨

こんな日にこんなに強く降らなくても

と思うかもしれません

しかし、

天気が続きカラカラの状態では

やっと降った恵みの雨

ということになるでしょう。

 

(わかりませんが)

カエルさんにとっても

今日は体を潤してくれる

恵みの雨だったかもしれません。

昨日の山法師も

乾いた状態の方が木にはいいという

水を遣りすぎて根腐れをおこす

雨が続きすぎると

山法師にとっては苦手なこと

かもしれません。

 

私たちも

同じ一つの世界にみんながいる

のではなく

それぞれがそれぞれの世界を

作り上げて

それぞれの世界を見ている

ということです。

 

一つに世界にAさんもいて

BさんもいてCさんもいると

思っていたのですが

そうではなく

AさんはAさんの世界があり

BさんにはBさんの世界があり

同じというのは

どこかの接点で同じものを共有

していることがAさんとBさんの

つながりということでしょう。

 

水といっても

それぞれの境遇では

全く違った世界になり

山に登って飲む水は

それこそ甘露の水でしょうし

普段の生活ではただの水か、と

美味しいジュースの方がよかったと

 

同じ町に住んでいても

花の好きな人、グルメの人

お酒の好きな人、と

それぞれ、自分の感心によって

町を見ているのです。

 

一水四見という喩がありますが

こういうことがわかると

相手の方も理解ができるのでは

と思うのです。

自分の見ている世界観を

相手に押し付けても

お互いに困ります。

それぞれがそれぞれの世界を

もっている

家庭といえどもそうだと思います

それぞれの世界がどこか一点で

接している

その点で共通のことを

理解しあえている

ということが仲良くいっている

ということでしょう

全員が同じ世界にいる

のではないのです。

小さな子供といえども

やはり一つの世界をもっている

ということです。

 

こういう考え方も

大切なことではないかと思います。

 

 

 

 

 

コメント
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