本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

悪口は楽しい ! ???

2014-07-07 21:14:46 | 住職の活動日記

 以前ですが、

三浦先生と安田先生が話されていたおり、

はなしも興にのってきて、

三浦先生 、

 「人の悪口は楽しい !」

すると、安田先生も負けじと、

 「悪口は生きがいやね !」

      て聞いてました。

なんでだろう ??

 

 お経にも、いつも唱える

「十善戒」 という戒律の中に

口に関する戒めとして

妄語・綺語・悪口・両舌 と

十のうち四つもあります。

口は災いのもと、

覆水盆に返らず、と

うっかり言ってしまって、

それこそ取り返しのつかない

事態にもなりかねません。

 

不妄語 ウソをついてはいけません、

不綺語 お世辞です。褒めるということも

     褒め殺すということもありますし、

     それによって自分の真心までなくしてしまいます。

不悪口 悪口を言ってはいけません、

不両舌 二枚舌です。人と人とを裂く言葉で

     離間語とも言います。

 

子どものころから、

「人の悪口だけは言うな !!」

と、祖父や父から口うるさく言われてました。

 

  それなのに

悪口は生き甲斐や !   とは、

 

確かに、三浦先生も怒る時はとても

はげしく、しばらくは足腰が立たないほど

なのです。

普通の方に怒られても、

しばらく頭を下げていれば

そのうち嵐は去っていくものです。

 

しかし、三浦先生の場合は

生きているその存在自体から

怒られるというか、

そこまで言わなくてもいいものを

と思ってしまうくらいです。

 

しかし、よく考えてみると

(今思い返してみると

 とても温かい愛情の言葉だったのです)

 

よく、

人の悪口を絶対に言わない、という方がいらっしゃいます。

世間では人格者として皆から

信頼も受けておられます。

しかし、そんな人に限って

自分の悪口を言われると、

烈火のごとく怒り狂われます。

 

三浦先生について行こうと決心したのも

自分のど根性を見抜いていただいたからなのです。

人のことを怒ることができるというのは

自分にも同じものがあるからなのです。

だから、三浦先生が怒られるのも、

自分もそのことでずいぶん苦労されたからでしょう。

自分でもどうにも対治しきれない

煩悩に泣かれたからなのでしょう。

 

安田先生も、明るく悪口は言え ! と

影に隠れてこそこそ言うのはいけない

本人を前にして、

「あなたのここがいけない!」

と、その人の煩悩を見抜いて

言ってあげればいい、

自分も同じもので悩んでいるのだから、

安田先生も三浦先生も

自分の悪口を言われても静かに聞いておられました。

そうや !  自分に同じものがあるからな!

と、、頷いておられました。

 

悪口が楽しい !

ということは、人間の煩悩の動き、

迷っていく姿を分析するのが

おもしろいということです。

悪口を通して、人間分析をされているのです。

今も少し読んでいる 「唯識」 も

人間の見逃してしまいそうな

小さな心のごまかしも、

事細かに分析しているのです。

 

悪口も言えんような小さな人間になっては駄目だ !

明るく楽しく堂々と悪口を言えばいいんだ、

「あんたわしの悪口言うたな!」

といわれた時、

そう言いましたよ、そこの直せん一点は

私にもあるんだ、と

そこで共に語り合う世界をもてばいいと。

 

とはいううものの、

やはり人の陰口は気になるものです。

人は、悪口を言ってるときは

妙に生き生きとしてくるものです。

言ってもいいけど、

言われても腹立てんようにしましょう。

 

     ×     〇

 

 

 

 

 

 

 

 

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悪口は楽しい ! ???

2014-07-07 21:14:46 | 住職の活動日記

 以前ですが、

三浦先生と安田先生が話されていたおり、

はなしも興にのってきて、

三浦先生 、

 「人の悪口は楽しい !」

すると、安田先生も負けじと、

 「悪口は生きがいやね !」

      て聞いてました。

なんでだろう ??

 

 お経にも、いつも唱える

「十善戒」 という戒律の中に

口に関する戒めとして

妄語・綺語・悪口・両舌 と

十のうち四つもあります。

口は災いのもと、

覆水盆に返らず、と

うっかり言ってしまって、

それこそ取り返しのつかない

事態にもなりかねません。

 

不妄語 ウソをついてはいけません、

不綺語 お世辞です。褒めるということも

     褒め殺すということもありますし、

     それによって自分の真心までなくしてしまいます。

不悪口 悪口を言ってはいけません、

不両舌 二枚舌です。人と人とを裂く言葉で

     離間語とも言います。

 

子どものころから、

「人の悪口だけは言うな !!」

と、祖父や父から口うるさく言われてました。

 

  それなのに

悪口は生き甲斐や !   とは、

 

確かに、三浦先生も怒る時はとても

はげしく、しばらくは足腰が立たないほど

なのです。

普通の方に怒られても、

しばらく頭を下げていれば

そのうち嵐は去っていくものです。

 

しかし、三浦先生の場合は

生きているその存在自体から

怒られるというか、

そこまで言わなくてもいいものを

と思ってしまうくらいです。

 

しかし、よく考えてみると

(今思い返してみると

 とても温かい愛情の言葉だったのです)

 

よく、

人の悪口を絶対に言わない、という方がいらっしゃいます。

世間では人格者として皆から

信頼も受けておられます。

しかし、そんな人に限って

自分の悪口を言われると、

烈火のごとく怒り狂われます。

 

三浦先生について行こうと決心したのも

自分のど根性を見抜いていただいたからなのです。

人のことを怒ることができるというのは

自分にも同じものがあるからなのです。

だから、三浦先生が怒られるのも、

自分もそのことでずいぶん苦労されたからでしょう。

自分でもどうにも対治しきれない

煩悩に泣かれたからなのでしょう。

 

安田先生も、明るく悪口は言え ! と

影に隠れてこそこそ言うのはいけない

本人を前にして、

「あなたのここがいけない!」

と、その人の煩悩を見抜いて

言ってあげればいい、

自分も同じもので悩んでいるのだから、

安田先生も三浦先生も

自分の悪口を言われても静かに聞いておられました。

そうや !  自分に同じものがあるからな!

と、、頷いておられました。

 

悪口が楽しい !

ということは、人間の煩悩の動き、

迷っていく姿を分析するのが

おもしろいということです。

悪口を通して、人間分析をされているのです。

今も少し読んでいる 「唯識」 も

人間の見逃してしまいそうな

小さな心のごまかしも、

事細かに分析しているのです。

 

悪口も言えんような小さな人間になっては駄目だ !

明るく楽しく堂々と悪口を言えばいいんだ、

「あんたわしの悪口言うたな!」

といわれた時、

そう言いましたよ、そこの直せん一点は

私にもあるんだ、と

そこで共に語り合う世界をもてばいいと。

 

とはいううものの、

やはり人の陰口は気になるものです。

人は、悪口を言ってるときは

妙に生き生きとしてくるものです。

言ってもいいけど、

言われても腹立てんようにしましょう。

 

     ×     〇

 

 

 

 

 

 

 

 

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