以前ですが、
三浦先生と安田先生が話されていたおり、
はなしも興にのってきて、
三浦先生 、
「人の悪口は楽しい !」
すると、安田先生も負けじと、
「悪口は生きがいやね !」
て聞いてました。
なんでだろう ??
お経にも、いつも唱える
「十善戒」 という戒律の中に
口に関する戒めとして
妄語・綺語・悪口・両舌 と
十のうち四つもあります。
口は災いのもと、
覆水盆に返らず、と
うっかり言ってしまって、
それこそ取り返しのつかない
事態にもなりかねません。
不妄語 ウソをついてはいけません、
不綺語 お世辞です。褒めるということも
褒め殺すということもありますし、
それによって自分の真心までなくしてしまいます。
不悪口 悪口を言ってはいけません、
不両舌 二枚舌です。人と人とを裂く言葉で
離間語とも言います。
子どものころから、
「人の悪口だけは言うな !!」
と、祖父や父から口うるさく言われてました。
それなのに
悪口は生き甲斐や ! とは、
確かに、三浦先生も怒る時はとても
はげしく、しばらくは足腰が立たないほど
なのです。
普通の方に怒られても、
しばらく頭を下げていれば
そのうち嵐は去っていくものです。
しかし、三浦先生の場合は
生きているその存在自体から
怒られるというか、
そこまで言わなくてもいいものを
と思ってしまうくらいです。
しかし、よく考えてみると
(今思い返してみると
とても温かい愛情の言葉だったのです)
よく、
人の悪口を絶対に言わない、という方がいらっしゃいます。
世間では人格者として皆から
信頼も受けておられます。
しかし、そんな人に限って
自分の悪口を言われると、
烈火のごとく怒り狂われます。
三浦先生について行こうと決心したのも
自分のど根性を見抜いていただいたからなのです。
人のことを怒ることができるというのは
自分にも同じものがあるからなのです。
だから、三浦先生が怒られるのも、
自分もそのことでずいぶん苦労されたからでしょう。
自分でもどうにも対治しきれない
煩悩に泣かれたからなのでしょう。
安田先生も、明るく悪口は言え ! と
影に隠れてこそこそ言うのはいけない
本人を前にして、
「あなたのここがいけない!」
と、その人の煩悩を見抜いて
言ってあげればいい、
自分も同じもので悩んでいるのだから、
安田先生も三浦先生も
自分の悪口を言われても静かに聞いておられました。
そうや ! 自分に同じものがあるからな!
と、、頷いておられました。
悪口が楽しい !
ということは、人間の煩悩の動き、
迷っていく姿を分析するのが
おもしろいということです。
悪口を通して、人間分析をされているのです。
今も少し読んでいる 「唯識」 も
人間の見逃してしまいそうな
小さな心のごまかしも、
事細かに分析しているのです。
悪口も言えんような小さな人間になっては駄目だ !
明るく楽しく堂々と悪口を言えばいいんだ、
「あんたわしの悪口言うたな!」
といわれた時、
そう言いましたよ、そこの直せん一点は
私にもあるんだ、と
そこで共に語り合う世界をもてばいいと。
とはいううものの、
やはり人の陰口は気になるものです。
人は、悪口を言ってるときは
妙に生き生きとしてくるものです。
言ってもいいけど、
言われても腹立てんようにしましょう。
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