本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

西京極幼稚園 「たんぽぽ 7月号」

2014-07-04 21:57:37 | 住職の活動日記

 毎月幼稚園から届く、

月刊誌 「たんぽぽ」 今回で383号、

楽しみに拝見しています。

いつも、ー三浦俊良先生のおことばより-

が載せられています。

今回は 「二度とない人生」 というお話です。

特に心に深く感じました。

先生が一番苦労されておられるときで、

そのような状況の中で、

洛南高校の生徒さんに話されている

その内容には先生のふりしぼって話される

危機感と切実なものが伝わってきます。

 

何度も繰り返し読みました。

その時のころも思い出しました。

また、声に出しても読みました。

(声に出して読む、

 思うほどにすらすらと読めないものです)

 

少しだけ内容をご紹介します。

 

「人に負け己に勝ちて我を立てず、

義理を立てるは男なりけり」 と一休和尚が

言っております。人に負けても、己に勝って

我を立てず、義理を立てるのが、

まことの男の道なんだというわけでございます。

「堪忍の心しなくば誰も皆、

欲と怒りに身をば保てじ」

という歌もあります。

堪え忍ぶということがなかったら、

人間誰も皆、欲と怒りで身を保てないだろう

ということでございます。

 自分の欲や怒りのままに

人を殺したり、自殺していったりする。

堪え忍ぶ心がない、辛抱しきれない、

こらえ性がない、ということで、

そういうことをやって恐ろしいことですが、

これが現代人のありかたでございます。

    …

 というふうに続いていきます。

そして最後に、

 

勉強はいやだけれども守らなければならない。

私たちはお互いに甘えたいという

気持ちを持っているが、

しかし、甘えてはならない。

甘えていたのでは一人前になれない。

二度とない人生がそれではもったいない。

どうかこの洛南高校の規則を

まず中心において考えていただきたい。

そしてしっかり勉強してくれるように

お願いします。

 

と結んでおられます。

私にとりましては

いつ聞いても、その当時のことが思い出され

身が引き締まる思いがするのです。

 

この 「たんぽぽ」 もご子息の

三浦文良さんが引き継がれ

続けておられるのは何よりのことと

思います。

 

今の私にとりましては

月に一回届く 「たんぽぽ」 が

三浦先生の心に触れる

大切なものであります。

 

 

 

 

 

     

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ズイズイズッコロバシゴマミソズイ …

2014-07-04 14:29:31 | 住職の活動日記

 子どもの子ら何気なく歌っていた、

「ズイズイズッコロバシ、ゴマミソズイ

 チャツボニオワレテトッピンシャン

 ヌケタラドンドコショ …」

よく考えたら、意味不明な歌です。

 

ところが、先日訪ねた

「上林記念館」 

 

    

 

見るからに重厚な玄関です。

長屋門といわれ、宇治の茶師の家の

独特な作りだそうです。

だから、昔は茶師といえば

将軍家からとても大切にされていたのです。

 

    

 

これは摘んできたお茶を蒸す道具、

そして蒸したお茶を、

 

    

 

冷ますのがこのこの笊と団扇、    

 

    

 

そして、この焙炉(ほいろ)の上で

揉んで、おいしいお茶になっていく、

だから、お茶はとても貴重品で、

この宇治から江戸の将軍家まで

お茶が運ばれ、

 

   

 

お茶道中は大名と云えども

道を譲らなければいけなかったほど、

力を持っていたということです。

 

チャツボニオワレテトッピンシャン、

 

お茶壺道中が来たので、粗相があっては

御手打ちになるかも、

それで遊んでいた子供たちも

家の中に入り、

「戸をピッシャット閉めた」 トッピンシャン、

 

ヌケタラドンドコショ

 

お茶壺道中が通り過ぎたら、

ホッとしたということでしょう。

 

 

    

 

そのお茶壺にも、お茶をただ詰めたのか

と思ってましたが、

初音とかいいお茶を紙の袋に入れて、

そのお茶の周りに普通のお茶を緩衝剤のように

入れて、厳重に封印をして

運んだということです。

それはとても豪華絢爛な

「茶壺道中」 だったようです。

 

    

 

この方、上林竹庵、

ある時、利休さんがこの上林を訪ねてきた。

お茶を一服と、

点てはじめたのですが、

緊張のあまり、手が震えて

茶杓を落としたり、上手に出来なかった。

それを見て弟子たちが笑った、

ところが、利休さんは

当代随一のお茶の名手なり、

といったそうです。

弟子たちが尋ねると、

人をもてなすその気持ちが

お点前の第一である、

竹庵のお点前にはその気持ちが

よく伝わってきた、

と、利休さんが褒めたという話が

残っています。

 

今は歌わなくなった、

「ズイズイズッコロバシ」 の歌、

いろいろ調べてみると

なかなか奥深い意味もあるようです。

 

 

 

 

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