本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

今週の言葉 1/10~1/16 『 心は清く柔らかに 』

2011-01-09 21:45:38 | 今週の言葉
       心は清く柔らかに

        常に耐え忍んで

         争いを好まず

          人々を悩まさず


                      華厳経 十地品



 私たちの心はいつも 「 清く・柔らかく・耐え忍ぶ 」 ことが大事なのですが、

この簡単なことが一番難しいようです。

 このことをお経の中では 『 柔軟心 』 ( にゅうなんしん ) という

言葉で表現しています。

 「 柔軟心 」-とはただ柔らかいだけで、優柔不断ということとも少し違います。

柔らかいだけということに止まらず、積極的にすべてを慈しんでいくという

「 大慈悲心 」 という、仏さまの心そのものを表しているのです。

では、心をやわらか~く、といっても身体のようにマッサージして揉みほぐす

ということもできません。

 「 華厳経 」 というお経のなかには、

「 柔軟心 」 を保つには 「 常に耐え忍ぶ 」 こと、と説いてあります。

「 耐え忍ぶ 」 といっても、ただじっと我慢するということではありません。

昔のことわざに、

 『 ならぬ堪忍 するが堪忍 』 ( もう全く死語といっていいでしょう、が )

「 もうこれ以上我慢できない、というところを堪えるのが、本当の我慢 」

という意味なのです。



 江戸時代に 「 心学 」 という一種の庶民教育がさかんでした。

ここに面白い問答があります。

 ある儒教の学者のもとへ、学問もない若い町民が尋ねてきました。

  「 人間生きていく上で、何が一番大事でしょうか ? 」

  「 それは、人間 『 堪忍 』 の二字が大事じゃ ! 」 と教えます。

町民は指を折りながら、

  「 先生は二字とおっしゃるが、〈 かんにん 〉 は四字ではありませんか 」

先生はいらいらして、

  「 えいっ  堪忍は 〈 たえしのぶ 〉 と書く二字じゃ 」

学問のない彼は、また指を折りなおして、どうも納得がいかないようで、

  「 二字とおっしゃいましたが、 〈 たえしのぶ 〉 は、

    五字でまた一字ふえました。どうして二字なのですか ? 」

と真剣になって尋ねます。

とうとう儒教の先生は腹を立てて、

  「 えいっ、学問のない奴は困る。お前の相手にはなっておれん  

    さっさと帰れ! 」

追い返してしまいました。

しかし、彼の町民は、

  「 はい、帰ります。私は先生に教わった ”かんにん” の四字を

   腹の中に納めましたので、少しも腹が立ちません 」

と、にこやかに帰って行ったという、笑い話があります。


 よくよく味わってみると、ただの笑い話では済まされないものがあります。

私たちもよく経験することです。

一生懸命言ってる私たちの方が、カッカきて、諭す側の私たちが腹を立てている、

ということがよくあります。

 案外、ものごとをよく知っているということは、

知っているということにこだわりすぎて、

頭が固くなってきているということがあります。

 ものごとを勉強すると、不思議なことに、

「 知った 」、ということに固執していくのです。

「 自分の勉強したことは、絶対に正しい ! 」 と思ってくるからおかしいのです。

本当に勉強する方は 

 「 知った 」  とは言わない。

 「 知らなかった、ことがわかってきたことが楽しい 」

と、おっしゃいます。

勉強すればするほど、わからないことが増えてくる、

ということが本当なのでしょう。


 師匠の三浦先生も、九十才を越えた頃、

  「 人生は不思議の建立や ! 」

と、つくづくおっしゃっていました。

 自分の歩いてきた人生に固執することなく、

すべてのことを新鮮に生き生きと感じ取られる、

その心こそが 「 柔軟心 」 のように思います。


 悲しいかな !!

  年とともに、心も体も硬くなっていくようです。

先日、届きました

 「 西京極幼稚園 」 発行の 『 たんぽぽ 』 340号


   『 気は引き締めて、心は穏やかに、身体は元気に 』


とありました。

 なるほど !!  「 納得 」 させられました。







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『 大福茶 』

2011-01-09 11:40:51 | 住職の活動日記
 「 大福茶 」 ( おおぶくちゃ ) といいます。

京都では元旦の日にお雑煮をいただく前に、この 「 お茶 」 をいただきます。

お茶の中には 「 小梅 」 と 「 昆布 」 が入っています。


 今日お参りの 「 お煎茶 」 の先生のお宅で 『 大福茶 』 をいただきました。




       




 

お参りしている途中でいいお茶の香りがしてきました。

淹れられるたびごとに 「 ほうじ茶 」 を焙じているということです。

( さすが、お煎茶の先生です )

お参りが終わると、とてもいい香りとともに 「 大福茶 」 が出てきました。

「 焙じ番茶 」 のほうがお煎茶よりスッキリしていておいしいようです。

焙じる時も 「 越前和紙 」 の上で、

 「 紙の方が火の通りもよく、美味しくできるのですよ!

   越前和紙ですと、燃えないのが不思議ですね ! 」

といって、話してくださいました。

中に入っている 「 梅干 」 も蜂蜜に漬け込んだものだそうで、

「 昆布 」 の塩味と絡まって、絶妙の味でした。


 お茶碗も、「 宗匠好み 」 という 「 京焼 」の、

めでたい 「 鶴の絵柄 」 のあるものでした。


ちょっと遅れめの 「 新春 」 を味わうことが出来ました。


 京都にいる頃は 『 六波羅蜜寺 』 さんがこの 「 大福茶 」 は

有名で、お正月には参拝の方々に振る舞っておられました。

空也上人が 「 大福茶 」 が都で流行る病気を退散するために、

皆さんに振る舞われたというのが始まりのようです。









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