京都へ向かう飛行機の中、
台風接近中、大阪伊丹は大丈夫だろうか ?
帰りの便は飛ぶのだろうか ? そんな心配の中、
『 なるようにしかならない ! 』 と
機内放送では 「 大阪は雨 」
熊本はまだ雨も降っていないのに、今回の台風、離れた場所で大雨の模様です。
空の上に上がってみると、見事な天気です。
途中不思議な雲に出会いました。
7時過ぎというのに、空の上はまだ昼のように明るい、
台風の目 ? … まさか たぶん積乱雲でしょう。
とてもきれいな空を見ながらの飛行となりました。
『 三浦天気 ! 』 です。
先生が亡くなられた日、駆けつけたのも同じ時間の便でした。
その時は、伊丹に着いた途端、真っ赤な不思議な色の空でした。
( あわてて、 の中で、カバンからカメラを出して撮りましたので、
上手に撮れていません。)
ホテルに着くと、飛行機も遅れ9時過ぎていました。
しかし、
「 15階の最上階のお部屋を準備させていただきました。
お申込よりもランクアップさせていただきました。 」
こんな、面白角度から見れる部屋でした。
そして、部屋からは
『 伏見桃山城 』 も遥かかなたに見ることが出来たのです。
これも、先生のお陰なのかな ?? ですです。
ここの 『 京都グランビアホテル 』 は泊まるたびに、
部屋によって、いろんな姿を見せてくれます。
そこが行くたびに面白いところでもあります。
忌明けの法要も終わり、
『 記念写真撮りましょう ! 』
との声で、あわててカメラを出して撮ったのはよかったのですが、
先生の茶目っ気なのでしょうか ??
2枚ともこんな、不思議な写真になってしまいました。
それがまた、この写真 『 画像フォルダー 』 に入れるのに
何回も失敗したのです。
しない方がよかったのかな ?
そして、 『 お斎 』 の席で通された部屋が 『 山吹 』
という部屋だったのです。
『 山吹 』 は先生がこよなく愛され、
「 洛南高校 」 の校庭は 『 山吹丘 』 といいます。
洛南高校の校歌は
「 名にし負う 山吹丘に 花かおる わが学舎よ … 」
という、出だしで始まっています。
余談ですが、この校歌も 昭和15年
その時は 『 東寺中学 』 と呼ばれていた頃、
そのときの 英語の教師であった 『 寿岳文章 』 という方の作詞になり
同じく英語の先生だった 『 藤井制心 』 という方によって
作曲されたものです。
洛南高校となったとき、 『 寿岳文章先生 』 が 『 三浦先生 』 に
私の作った 『 歌 』 ような学校にしていただいて、と
お礼の言葉を述べられた、ということを聞いております。
いずれにしても、深い、 またいろんな意味で、不思議なご縁を
見せていただいた、 「 三浦先生 忌明け 」 のお参りでした。
台風接近中、大阪伊丹は大丈夫だろうか ?
帰りの便は飛ぶのだろうか ? そんな心配の中、
『 なるようにしかならない ! 』 と
機内放送では 「 大阪は雨 」
熊本はまだ雨も降っていないのに、今回の台風、離れた場所で大雨の模様です。
空の上に上がってみると、見事な天気です。
途中不思議な雲に出会いました。
7時過ぎというのに、空の上はまだ昼のように明るい、
台風の目 ? … まさか たぶん積乱雲でしょう。
とてもきれいな空を見ながらの飛行となりました。
『 三浦天気 ! 』 です。
先生が亡くなられた日、駆けつけたのも同じ時間の便でした。
その時は、伊丹に着いた途端、真っ赤な不思議な色の空でした。
( あわてて、 の中で、カバンからカメラを出して撮りましたので、
上手に撮れていません。)
ホテルに着くと、飛行機も遅れ9時過ぎていました。
しかし、
「 15階の最上階のお部屋を準備させていただきました。
お申込よりもランクアップさせていただきました。 」
こんな、面白角度から見れる部屋でした。
そして、部屋からは
『 伏見桃山城 』 も遥かかなたに見ることが出来たのです。
これも、先生のお陰なのかな ?? ですです。
ここの 『 京都グランビアホテル 』 は泊まるたびに、
部屋によって、いろんな姿を見せてくれます。
そこが行くたびに面白いところでもあります。
忌明けの法要も終わり、
『 記念写真撮りましょう ! 』
との声で、あわててカメラを出して撮ったのはよかったのですが、
先生の茶目っ気なのでしょうか ??
2枚ともこんな、不思議な写真になってしまいました。
それがまた、この写真 『 画像フォルダー 』 に入れるのに
何回も失敗したのです。
しない方がよかったのかな ?
そして、 『 お斎 』 の席で通された部屋が 『 山吹 』
という部屋だったのです。
『 山吹 』 は先生がこよなく愛され、
「 洛南高校 」 の校庭は 『 山吹丘 』 といいます。
洛南高校の校歌は
「 名にし負う 山吹丘に 花かおる わが学舎よ … 」
という、出だしで始まっています。
余談ですが、この校歌も 昭和15年
その時は 『 東寺中学 』 と呼ばれていた頃、
そのときの 英語の教師であった 『 寿岳文章 』 という方の作詞になり
同じく英語の先生だった 『 藤井制心 』 という方によって
作曲されたものです。
洛南高校となったとき、 『 寿岳文章先生 』 が 『 三浦先生 』 に
私の作った 『 歌 』 ような学校にしていただいて、と
お礼の言葉を述べられた、ということを聞いております。
いずれにしても、深い、 またいろんな意味で、不思議なご縁を
見せていただいた、 「 三浦先生 忌明け 」 のお参りでした。