おもしろいもので、言葉も読み方によっては
全く違った意味になってきます。
昨日の熊日新聞、第一面の見出しは
県内 「 増益・改善 」 6割
利益ベース回復傾向
という記事がでていました。
あたりまえには 『 増益 』( ぞうえき ) なのですが、
私たちが目にする言葉では 『 増益 』 とかいて 「 そうやく 」 というように読むのです。
もう一つ 『 利益 』 (りえき) ですが、 ( ご ) がつくと
『 ご利益 』 (ごりやく) というようになるのです。
宗教と経済は全く別なようで、どことなしか似ているところがあるような気がします。
経済ということも、ただ、儲けて終い!、 というだけではなく
そこには人間ということが深くかかわっていますので、「 思想 」 ということが
大きな意味合いを持っていなければいけません。
「 利益 」 ではなく 「 ご利益 」 となると
そこには、作って喜び、売って喜び、またそれを買って喜ぶ、使って喜ぶ
となれば、理想かもしれませんが、そいうことが 「 ご利益 」 となるのでしょう。
「 増益 」 (そうやく) ということも
真言宗では護摩を焚く時に 『 増益護摩 』 と 『 息災護摩 』 という
二つの護摩の焚き方があるのです。
特に、正月、東寺の潅頂院で勤められる 『 後七日御修法 』( ごしちにちみしほ )
では、この二つの護摩が焚かれます。
確か ? 息災護摩は焚かれる人の衣も 「 白 」、 護摩壇も 「 白 」
増益護摩は衣も護摩壇もお洗米も 「 黄色 」 だったと思います。
後七日御修法も人々の無事息災を願い、そしてますますの繁盛を願って
この 「 息災 」 と 「 増益 」 の二つの護摩が焚かれるのでしょう。
読み方の違いで、微妙な宗教感覚というか 「 公性 」 (おおやけせい)
というか、個人的関心の違いによってその内容を言い表しているように思うのです。
『 懺悔 』 という言葉も、普通は ( ざんげ ) と読みます。
しかし、お経となると 『 懺悔 』 を濁らずに ( さんげ ) と読みます。
「 ザンゲ 」 というと倫理意識ということです。
これが 「 サンゲ 」 と濁らずに読むと、これは宗教意識になってきます。
このニュアンスも微妙な違いを持っているのです。
言葉もいろいろ面白い姿を持っています。
全く違った意味になってきます。
昨日の熊日新聞、第一面の見出しは
県内 「 増益・改善 」 6割
利益ベース回復傾向
という記事がでていました。
あたりまえには 『 増益 』( ぞうえき ) なのですが、
私たちが目にする言葉では 『 増益 』 とかいて 「 そうやく 」 というように読むのです。
もう一つ 『 利益 』 (りえき) ですが、 ( ご ) がつくと
『 ご利益 』 (ごりやく) というようになるのです。
宗教と経済は全く別なようで、どことなしか似ているところがあるような気がします。
経済ということも、ただ、儲けて終い!、 というだけではなく
そこには人間ということが深くかかわっていますので、「 思想 」 ということが
大きな意味合いを持っていなければいけません。
「 利益 」 ではなく 「 ご利益 」 となると
そこには、作って喜び、売って喜び、またそれを買って喜ぶ、使って喜ぶ
となれば、理想かもしれませんが、そいうことが 「 ご利益 」 となるのでしょう。
「 増益 」 (そうやく) ということも
真言宗では護摩を焚く時に 『 増益護摩 』 と 『 息災護摩 』 という
二つの護摩の焚き方があるのです。
特に、正月、東寺の潅頂院で勤められる 『 後七日御修法 』( ごしちにちみしほ )
では、この二つの護摩が焚かれます。
確か ? 息災護摩は焚かれる人の衣も 「 白 」、 護摩壇も 「 白 」
増益護摩は衣も護摩壇もお洗米も 「 黄色 」 だったと思います。
後七日御修法も人々の無事息災を願い、そしてますますの繁盛を願って
この 「 息災 」 と 「 増益 」 の二つの護摩が焚かれるのでしょう。
読み方の違いで、微妙な宗教感覚というか 「 公性 」 (おおやけせい)
というか、個人的関心の違いによってその内容を言い表しているように思うのです。
『 懺悔 』 という言葉も、普通は ( ざんげ ) と読みます。
しかし、お経となると 『 懺悔 』 を濁らずに ( さんげ ) と読みます。
「 ザンゲ 」 というと倫理意識ということです。
これが 「 サンゲ 」 と濁らずに読むと、これは宗教意識になってきます。
このニュアンスも微妙な違いを持っているのです。
言葉もいろいろ面白い姿を持っています。