本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

水前寺八景

2010-05-31 22:53:54 | 住職の活動日記
 先日お参りしたお宅で珍しい絵を見せていただくことが出来ました。

なんとも言えないのどかな風景です。

この構図がとても気に入りました。



    



 この全体図を見ていただいた上で、




     



 作者は 『 杉谷洞庭子 』 と記されたります。

この方は 『 杉谷雪樵 』 という名前でよく知られた方、と

持ち主の方が話されていました。

江戸後期の方で、宮内庁の御物にもなっているそうです。




     



 わかりづらいと思って拡大したのが、左中ごろの杉並木です。

これが現在も残っている 「 健軍神社の八丁馬場 」 の杉並木です。

今は電車も通り、とても賑やかになっていますが、

江戸時代ごろは、ほとんど田圃の風景です。




      



 橋の上を行き交う人の姿も丁寧に描かれています。

帆掛け舟も見えます。

この湖は 「 江津湖 」 です。




      



  絵の左側がどうも 「 水前寺 」 のようです。

 この頃から民家も見えて、賑やかだったのでしょう。




     




 この山は今も変わらず、同じ姿を見せている 『 飯田山 』 です。


ゆっくりと見れば見るほど、なんともゆったりしてくれる絵です。


 とてもすばらしい絵を見せていただきました。
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今週の言葉 5/31~6/6 『 わが心 鏡にうつる … 』

2010-05-31 07:47:36 | 今週の言葉
  わが心 鏡にうつる ものならば

             さぞや すがたの みにくかるらん


 いつもの通り道、熊本第一信用金庫の大きなガラスの壁面があります。

ふと、通りすがりに写る 「 わが姿 」  

ドッキとする場面です。

 自分ではあまり鏡を見るということがありません。

そのせいか、結構自分なりに、昔の姿をイメージして生きてるようです。

本当に鏡に写ったその姿が自分のありのままの姿なのです。


 よく、本当に自分を知りたい、という声を聞きます。

お互いに、本当の自分の姿は ? …

それなりに立派な自分というものを想像しているのでしょう。


 昔話に面白い話があります。

  昔、汚い家にお爺さんとお婆さんが住んでいました。

  冬のある木枯らしが吹く寒い夕方です。

  真ん中に火鉢を置いて、炭をいれ、二人して頬寄せていいました。

  「 なあ、婆さんや、寒くなってきたのう 」

  「 本当ですね、お爺さん 」

  「 お婆さん、見てみい、隣の家。え、障子がボロボロや。

    北風吹いて寒いのに、あの破れ障子。

    破れ障子の隙間は寒い。
 
    貼りかえたらいいのに。
 
    なあ、けちな家や。」

  「 ええ、ええ、ほんとに、お爺さん。

    あんなけちんぼうにはなりたくないですね。」


という、このお爺さんお婆さんは、どこから見ていたかというと、
 
自分の家の破れ障子から見ておった、というのです。


 「 人の是非は知りやすく、おのれの短見は見難し 」


ということわざがありますが、人の悪い点はよくわかる、

しかし、自分のこととなると、なかなかわからないものです。

 
 「 あの人、ずいぶんおばあさんになたわね 」

と、人さまの老いの姿は良く見えても、自分の老いの姿は

それほどじゃないと思って暮らしているのです。


 昔の歴史物語に 『 大鏡 』 『 増鏡 』 というのがあります。

鏡というのは自らをふりかえる、「 鑑みる 」 ( かんがみる ) ということです。

自分自身のすがたは自分では見ることが出来ません。


 毎日お唱えしてるお経の中に

  『 我昔所造諸悪業  … 一切我今皆懺悔 』

と唱える 『 懺悔文 』 ( さんげもん ) という

短い偈文があります。

 日々、自分の行いを鑑み、懺悔していくという 「 鏡 」 をもつ

ということが大事なのです。
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