この言葉に出会ったのは大学一年生の英語の時間でした。
仏教大学ということもあり、鈴木大拙という方の 『 仏教の大意 』 という題で、
英訳されたものが教材でした。もともとは、昭和天皇に講義されたものが原本のようで
す。それが、世界各国の言葉に翻訳されました。
その中に出てくる、「 一即一切 一切即一 」 という言葉の翻訳で、
「 one is all all is one 」 と訳されてます。 『 なんと、簡単な 』 と
言うのが実感でした。もっと立派な訳はないのだろうか? と思っていました。
友達なったロシアの方もこの本を読んでおられ、この 「 one is all 」 は
とてもよくわかる。というのです。
悲しいかな、私にはもう一つよくわからない。
ところが、縁あって、キリスト教の立派な教会にお邪魔したとき、
「 なんという重圧感! 神という形なき存在を表さんがための、ありとあらゆる装飾や
その作り方なのか ?」
そこに身を置いた時、『 One is ALL ALL is One 』 とい
う言葉が、迫ってきたのです。 『 One 』 とは 『 神 』 のことではないだ
ろうか。 勝手な解釈かもしれませんが、
「 神はすべてである すべてのものは神のものである 」
というと、ロシア人がよくわかるということが頷けます。
しかし、仏教で言う 『 一即一切 一切即一 』 はチョッとニュアンスが違うよう
です。『 一 』 が有るということは 『 無量無数のありとあらゆる、一切の縁、の
賜物である 』 という、自分ということの存在の貴重さを、言っているように思いま
す。だから 『 One 』 は 『 わたし 』 ( 俺ではない ) ということに
なると思います。
( 仏教の方が実存的ですね )
なぜ、人の命は尊いのか?
それは、ありとあらゆる命を集めて、ありとあらゆる命を頂いて、すべての命の代表と
しての 『 一人 』 『 One 』 である、と言うことからでしょう。
『 One is ALL 』 ( わたしはすべての命の代表である )
という独立宣言 !
そしてまた、
『 ALL is One 』 ( すべてのご縁の賜物が自分である )
という謙虚な、すべての命に対する感謝
ということを表しているのではないでしょうか。
仏教大学ということもあり、鈴木大拙という方の 『 仏教の大意 』 という題で、
英訳されたものが教材でした。もともとは、昭和天皇に講義されたものが原本のようで
す。それが、世界各国の言葉に翻訳されました。
その中に出てくる、「 一即一切 一切即一 」 という言葉の翻訳で、
「 one is all all is one 」 と訳されてます。 『 なんと、簡単な 』 と
言うのが実感でした。もっと立派な訳はないのだろうか? と思っていました。
友達なったロシアの方もこの本を読んでおられ、この 「 one is all 」 は
とてもよくわかる。というのです。
悲しいかな、私にはもう一つよくわからない。
ところが、縁あって、キリスト教の立派な教会にお邪魔したとき、
「 なんという重圧感! 神という形なき存在を表さんがための、ありとあらゆる装飾や
その作り方なのか ?」
そこに身を置いた時、『 One is ALL ALL is One 』 とい
う言葉が、迫ってきたのです。 『 One 』 とは 『 神 』 のことではないだ
ろうか。 勝手な解釈かもしれませんが、
「 神はすべてである すべてのものは神のものである 」
というと、ロシア人がよくわかるということが頷けます。
しかし、仏教で言う 『 一即一切 一切即一 』 はチョッとニュアンスが違うよう
です。『 一 』 が有るということは 『 無量無数のありとあらゆる、一切の縁、の
賜物である 』 という、自分ということの存在の貴重さを、言っているように思いま
す。だから 『 One 』 は 『 わたし 』 ( 俺ではない ) ということに
なると思います。
( 仏教の方が実存的ですね )
なぜ、人の命は尊いのか?
それは、ありとあらゆる命を集めて、ありとあらゆる命を頂いて、すべての命の代表と
しての 『 一人 』 『 One 』 である、と言うことからでしょう。
『 One is ALL 』 ( わたしはすべての命の代表である )
という独立宣言 !
そしてまた、
『 ALL is One 』 ( すべてのご縁の賜物が自分である )
という謙虚な、すべての命に対する感謝
ということを表しているのではないでしょうか。