本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

One is All   All is One

2008-04-07 15:13:34 | 住職の活動日記
 この言葉に出会ったのは大学一年生の英語の時間でした。

仏教大学ということもあり、鈴木大拙という方の 『 仏教の大意 』 という題で、

英訳されたものが教材でした。もともとは、昭和天皇に講義されたものが原本のようで

す。それが、世界各国の言葉に翻訳されました。

 その中に出てくる、「 一即一切  一切即一 」 という言葉の翻訳で、

「 one is all all is one 」 と訳されてます。 『 なんと、簡単な 』 と

言うのが実感でした。もっと立派な訳はないのだろうか? と思っていました。


 友達なったロシアの方もこの本を読んでおられ、この 「 one is all  」 は

とてもよくわかる。というのです。

 悲しいかな、私にはもう一つよくわからない。


 ところが、縁あって、キリスト教の立派な教会にお邪魔したとき、

「 なんという重圧感! 神という形なき存在を表さんがための、ありとあらゆる装飾や

その作り方なのか ?」 

 そこに身を置いた時、『 One is ALL  ALL is One 』 とい

う言葉が、迫ってきたのです。 『 One 』 とは 『 神 』 のことではないだ

ろうか。 勝手な解釈かもしれませんが、

 「 神はすべてである すべてのものは神のものである 」

 というと、ロシア人がよくわかるということが頷けます。


 しかし、仏教で言う 『 一即一切 一切即一 』 はチョッとニュアンスが違うよう

です。『 一 』 が有るということは 『 無量無数のありとあらゆる、一切の縁、の

賜物である 』 という、自分ということの存在の貴重さを、言っているように思いま

す。だから 『 One 』 は 『 わたし 』 ( 俺ではない ) ということに

なると思います。 

         ( 仏教の方が実存的ですね )


 なぜ、人の命は尊いのか? 

 それは、ありとあらゆる命を集めて、ありとあらゆる命を頂いて、すべての命の代表と

しての 『 一人 』 『 One 』 である、と言うことからでしょう。


 『 One is ALL 』 ( わたしはすべての命の代表である )

           という独立宣言 !

 そしてまた、

 『 ALL is One 』 ( すべてのご縁の賜物が自分である )

           という謙虚な、すべての命に対する感謝    

 ということを表しているのではないでしょうか。

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今週の言葉4/7~4/13

2008-04-07 14:24:41 | 今週の言葉
      桜木を 手折りて見れど 花はなし

                      春こそ 花の命なりけれ


 昨夜からの雨、昼まで続きました。昼からは打って変わって 

昨日、菩提樹苑の桜も綺麗な花吹雪でした。

 今日の雨でほとんどの桜も散ってしまうことでしょう。

 本当に花の命は短いものです。

 今週の言葉も、師匠からよく聞かされて、頭の片隅に残っていて、この時期になると

決まって、頭の中に浮かんでくるのです。

 寒い冬が終わり、暖かくなり始めた頃、今まで枯れ木のようにしていた、桜の枝から

小さな蕾が膨らんできます。

 季節は正直で、自然の木々もよく知っているように、その時その時になるとちゃんと、

芽を吹き新芽を出してきます。

 当たり前と言ってしまえば、当たり前なのでしょうが、不思議といえばこれほど不思議

なことは有りません。


 「 枯れ枝のような桜の枝から、花が出てきた、花の元はどこにあるのだろうかと、

  枝を折ってみても、そこには花の元になるようなものは見当たらない。

  春という季節の働きが、花の命の元ではないのか。」


 昨夜からの雨、木々にとっては大変なご馳走です。地面に降った雨を 『 ゴックン

ゴックン 』 木々たちが吸い上げている音が聞こえてきそうです。

 
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