こんな名刹があったとは今の今まで知りませんでした。お江戸の府内から遠く離れたここ上井草は江戸時代にはどんな風景が広がっていたのでしょう。青梅街道からは少し奥まった位置にありながら、この土地はあの戦国時代の名家である今川氏の所領が広がっていました。
今川氏がここに所領を得たのは13代直房の頃で、時は正保2年(1645)といわれています。この年、直房は将軍家光公の命を受けて、開幕の祖である神君家康公の宮号宣下、すなわち「東照大権現」の宮号宣下の使者を勤め、その功績を評価され井草村を含め近在三か村併せて500石の加増を賜ったそうです。そして井草の地にすでにあった曹洞宗の寺院である観音寺を自らの菩提寺としたのです。
観音寺は直房が加増された年(正保2年)に現在の場所に移り寺号も観泉寺と改め、祖父氏真を開基としました。その後萬昌院(現中野区)から祖父氏真の墓所を当寺に改葬した経緯があります。
そんな由緒ある観泉寺はJR荻窪駅からバスで10分ほどの距離に、かつての寺領をそのまま保持しているかのような広い境内に美しい伽藍が配置されている名刹なのです。
折しも梅雨明けと同時に山門へと通じる参道脇は濃い緑の葉で覆われた木々が茂り、まるで森の中に埋もれるように静かな佇まいを見せています。どこかで見たような風景はあたかも京都の仏閣を思い起させるように静かな時間が流れています。
山門へと通じる参道脇には道祖神や青面金剛を刻んだ石造りの庚申塔を納めた祠が置かれています。そして参道を挟んで反対側に建つ門構えを覗くと、一番奥まった場所に六地蔵が鎮座しています。
庚申堂
六地蔵
そして山門へと近づくと、その傍らに「今川氏代々墓」と刻まれた石柱が立っています。左右に延びる長い塀を従えるようにして建つ山門の姿は日本の仏教建築の美しさを具現化し、限りなく幽玄、且つ芸術性に富んだ空間を造りだしています。その美しさが伝わるかどうかわかりませんが、どうですか下の写真。あまりにも美しすぎると思いませんか?
今川氏代々之墓石柱
どうですか?この雰囲気
山門を抜け目の前に現れるのは見事に手入れされた寺院庭園の極致。これほどまでにこだわったお庭の造成を見た瞬間、胸が締め付けられるような感動を覚えます。
これもどうですか?
もう一度、どうですか? この極上の空間美。とんでもなく美しい世界が目の前に広がっています。おそらく春夏秋冬、それぞれの季節ごとにこの極上のお庭はさまざまに彩りを変え、訪れる人の目を楽しまさせてくれるんでしょう。気が早いのですが、晩秋の彩りはきっと目を見張るものがあると思います。
ご本堂
観音堂
閻魔堂
鐘楼堂
美しい境内のお庭をくまなく拝見したあと、鐘楼堂の裏手に広がる「竹林」へ進んでいきました。ほんとうにまるで京都にいる感覚です。これほどまでに美しい竹林を都内で見られるとは思ってもいなかったのです。しかも竹林を囲む芝垣根の趣といい、うっそうと茂る竹林に射し込む陽射しが竹林に濃淡を描き出し、それこそここも幽玄な世界を造りだしているのです。ほんとうに感動ものです。
竹林
竹林
お庭の美しさの余韻を楽しみながら、閻魔堂の裏手の道を辿り墓地へと進むことにします。目指すはもちろん「今川氏代々之墓」です。その墓は墓地に入ってすぐ左手に玉垣に囲まれ、たくさんの墓石がコの字型に整然と並ぶ姿で現れます。どの墓石が誰のものかは判別できませんでしたので、カメラを構えて各コーナー毎にシャッターを落としてみました。それが下の写真です。
今川氏墓所
今川氏墓所
今川氏墓所
江戸時代には吉良家と並ぶ高家として、朝廷の勅使饗応や儀礼を担当した今川氏の栄華をほんの少し垣間見ることができる墓所なのです。
竹林へと続く道
境内俯瞰
こんな素晴らしい境内とお庭を持つ観泉寺なのに、私以外には誰一人訪れる参拝客がいないのは不思議です。その代りこの至高の空間を独り占めできた時間を十分に楽しむことができたことは久しぶりの充実感です。併せて、私の家の宗派である曹洞宗の寺院であることにある種の誇りすら感じてしまいます。
住所:東京都杉並区今川2-16-1
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今川氏がここに所領を得たのは13代直房の頃で、時は正保2年(1645)といわれています。この年、直房は将軍家光公の命を受けて、開幕の祖である神君家康公の宮号宣下、すなわち「東照大権現」の宮号宣下の使者を勤め、その功績を評価され井草村を含め近在三か村併せて500石の加増を賜ったそうです。そして井草の地にすでにあった曹洞宗の寺院である観音寺を自らの菩提寺としたのです。
観音寺は直房が加増された年(正保2年)に現在の場所に移り寺号も観泉寺と改め、祖父氏真を開基としました。その後萬昌院(現中野区)から祖父氏真の墓所を当寺に改葬した経緯があります。
そんな由緒ある観泉寺はJR荻窪駅からバスで10分ほどの距離に、かつての寺領をそのまま保持しているかのような広い境内に美しい伽藍が配置されている名刹なのです。
折しも梅雨明けと同時に山門へと通じる参道脇は濃い緑の葉で覆われた木々が茂り、まるで森の中に埋もれるように静かな佇まいを見せています。どこかで見たような風景はあたかも京都の仏閣を思い起させるように静かな時間が流れています。
山門へと通じる参道脇には道祖神や青面金剛を刻んだ石造りの庚申塔を納めた祠が置かれています。そして参道を挟んで反対側に建つ門構えを覗くと、一番奥まった場所に六地蔵が鎮座しています。
庚申堂
六地蔵
そして山門へと近づくと、その傍らに「今川氏代々墓」と刻まれた石柱が立っています。左右に延びる長い塀を従えるようにして建つ山門の姿は日本の仏教建築の美しさを具現化し、限りなく幽玄、且つ芸術性に富んだ空間を造りだしています。その美しさが伝わるかどうかわかりませんが、どうですか下の写真。あまりにも美しすぎると思いませんか?
今川氏代々之墓石柱
どうですか?この雰囲気
山門を抜け目の前に現れるのは見事に手入れされた寺院庭園の極致。これほどまでにこだわったお庭の造成を見た瞬間、胸が締め付けられるような感動を覚えます。
これもどうですか?
もう一度、どうですか? この極上の空間美。とんでもなく美しい世界が目の前に広がっています。おそらく春夏秋冬、それぞれの季節ごとにこの極上のお庭はさまざまに彩りを変え、訪れる人の目を楽しまさせてくれるんでしょう。気が早いのですが、晩秋の彩りはきっと目を見張るものがあると思います。
ご本堂
観音堂
閻魔堂
鐘楼堂
美しい境内のお庭をくまなく拝見したあと、鐘楼堂の裏手に広がる「竹林」へ進んでいきました。ほんとうにまるで京都にいる感覚です。これほどまでに美しい竹林を都内で見られるとは思ってもいなかったのです。しかも竹林を囲む芝垣根の趣といい、うっそうと茂る竹林に射し込む陽射しが竹林に濃淡を描き出し、それこそここも幽玄な世界を造りだしているのです。ほんとうに感動ものです。
竹林
竹林
お庭の美しさの余韻を楽しみながら、閻魔堂の裏手の道を辿り墓地へと進むことにします。目指すはもちろん「今川氏代々之墓」です。その墓は墓地に入ってすぐ左手に玉垣に囲まれ、たくさんの墓石がコの字型に整然と並ぶ姿で現れます。どの墓石が誰のものかは判別できませんでしたので、カメラを構えて各コーナー毎にシャッターを落としてみました。それが下の写真です。
今川氏墓所
今川氏墓所
今川氏墓所
江戸時代には吉良家と並ぶ高家として、朝廷の勅使饗応や儀礼を担当した今川氏の栄華をほんの少し垣間見ることができる墓所なのです。
竹林へと続く道
境内俯瞰
こんな素晴らしい境内とお庭を持つ観泉寺なのに、私以外には誰一人訪れる参拝客がいないのは不思議です。その代りこの至高の空間を独り占めできた時間を十分に楽しむことができたことは久しぶりの充実感です。併せて、私の家の宗派である曹洞宗の寺院であることにある種の誇りすら感じてしまいます。
住所:東京都杉並区今川2-16-1
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