伊勢松阪の商人で現三越の前身である越後屋の三井高利がお江戸日本橋に江戸店を構えたのが江戸時代の延宝元年(1673)のことです。江戸に進出した越後屋は当寺とすれば斬新な現金掛値無し、反物の切り売りなどの新商法導入して繁盛し、豪商の名を独り占めにしたのです。
そんな三井越後屋の菩提寺が杉並の梅里に堂宇を構えています。その寺名は天台真盛宗の「真盛寺」です。環状7号に面して長い参道を持ち、その参道の遥か奥に立派な山門を構えています。
山門
開基は江戸の初期の寛永8年(1631)に現在の文京区湯島に堂宇構えましたが、その後谷中、本所と移転し現在地に移ったのは大正11年(1922)のことです。
参道の長さとそれに連なる長い塀を見るだけで当寺の格式と威厳を感じざるを得ません。緑濃い参道を進むうちに都内でこれほどの立派な参道を持つ寺がいくつあるだろうかと思案していると、目の前に立派な山門が現れます。その山門の脇に「檀家以外の参拝はご遠慮ください」の立札が置かれていました。
境内へとつづく参道
そんな立札を横目に、山門からさらにつづく参道を眺めつつどうしても境内に入ってみたい誘惑にかられ、禁を破って境内を拝見させていただきました。境内へとつづく参道は大きく湾曲しているため、境内の全貌をすぐには掴めません。境内に進んで行くと参道の幅が急に広くなり、広々とした境内の奥にご本堂がどっしりとした姿で構えています。この本堂は安永五年(1776)に本所から移築したものだそうです。
ご本堂
そして本堂から左へ目を移すと大名屋敷の表玄関を思わせるような建物が連なります。この建物は客殿と呼ばれているもので明治26年に旧細川侯爵邸として建てられた伝統的な書院造りの建物を移築したものです。
客殿
さらにこの中玄関書院の左手には奇妙な格好をした建物があります。美しい白壁の一階部分と屋根の上に飛び出したようにつけられた二階部分が和洋折衷様式の建物のような雰囲気を醸し出しています。この建物は庫裏と呼ばれ、これも旧細川邸から移築されたものです。これらの歴史的建造物が手入れされた広い境内の庭を囲むように配置されています。
庫裏
その庭の傍らの木々に覆われた場所に鐘楼堂が一つ佇んでいます。
鐘楼堂
深閑とした空気が漂う境内には誰一人訪れるものもなく、都心の寺院では当然のように高層ビルが借景のように林立する光景に見慣れている私にとっては木々の緑と広い庭だけの光景はむしろ新鮮さを感じるものです。
本音をいうと静かな空気が漂う境内の庭でしばし寛いでみたいとおもったのですが、あまりの人影のなさに早目に辞することにしました。参道を山門へと戻る途中に小さなお堂を見つけました。あまり聞き慣れない名前のお堂なのですが、「元三大師堂」と呼ばれています。
元三大師堂
元三大師とは平安時代の天台宗の僧侶で良源(りょうげん)のことなのですが、諡号は慈恵大師(じえだいし)。一般には通称の元三大師(がんさんだいし)の名で知られ、比叡山延暦寺の中興の祖として知られている人物です。もちろん実在の人物です。
角大師
余談ですが良源は言い伝えによると鬼の姿に化けて疫病神を追い払ったと言われています。その時の姿を表したのが「角大師」と言われる2本の角を持ち、骨と皮とに痩せさらばえた鬼の絵なのです。おそらくどこかでご覧になった方がおおいのではないでしょうか。この鬼の絵は魔除けとして家々に貼る習慣があるようです。
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そんな三井越後屋の菩提寺が杉並の梅里に堂宇を構えています。その寺名は天台真盛宗の「真盛寺」です。環状7号に面して長い参道を持ち、その参道の遥か奥に立派な山門を構えています。
山門
開基は江戸の初期の寛永8年(1631)に現在の文京区湯島に堂宇構えましたが、その後谷中、本所と移転し現在地に移ったのは大正11年(1922)のことです。
参道の長さとそれに連なる長い塀を見るだけで当寺の格式と威厳を感じざるを得ません。緑濃い参道を進むうちに都内でこれほどの立派な参道を持つ寺がいくつあるだろうかと思案していると、目の前に立派な山門が現れます。その山門の脇に「檀家以外の参拝はご遠慮ください」の立札が置かれていました。
境内へとつづく参道
そんな立札を横目に、山門からさらにつづく参道を眺めつつどうしても境内に入ってみたい誘惑にかられ、禁を破って境内を拝見させていただきました。境内へとつづく参道は大きく湾曲しているため、境内の全貌をすぐには掴めません。境内に進んで行くと参道の幅が急に広くなり、広々とした境内の奥にご本堂がどっしりとした姿で構えています。この本堂は安永五年(1776)に本所から移築したものだそうです。
ご本堂
そして本堂から左へ目を移すと大名屋敷の表玄関を思わせるような建物が連なります。この建物は客殿と呼ばれているもので明治26年に旧細川侯爵邸として建てられた伝統的な書院造りの建物を移築したものです。
客殿
さらにこの中玄関書院の左手には奇妙な格好をした建物があります。美しい白壁の一階部分と屋根の上に飛び出したようにつけられた二階部分が和洋折衷様式の建物のような雰囲気を醸し出しています。この建物は庫裏と呼ばれ、これも旧細川邸から移築されたものです。これらの歴史的建造物が手入れされた広い境内の庭を囲むように配置されています。
庫裏
その庭の傍らの木々に覆われた場所に鐘楼堂が一つ佇んでいます。
鐘楼堂
深閑とした空気が漂う境内には誰一人訪れるものもなく、都心の寺院では当然のように高層ビルが借景のように林立する光景に見慣れている私にとっては木々の緑と広い庭だけの光景はむしろ新鮮さを感じるものです。
本音をいうと静かな空気が漂う境内の庭でしばし寛いでみたいとおもったのですが、あまりの人影のなさに早目に辞することにしました。参道を山門へと戻る途中に小さなお堂を見つけました。あまり聞き慣れない名前のお堂なのですが、「元三大師堂」と呼ばれています。
元三大師堂
元三大師とは平安時代の天台宗の僧侶で良源(りょうげん)のことなのですが、諡号は慈恵大師(じえだいし)。一般には通称の元三大師(がんさんだいし)の名で知られ、比叡山延暦寺の中興の祖として知られている人物です。もちろん実在の人物です。
角大師
余談ですが良源は言い伝えによると鬼の姿に化けて疫病神を追い払ったと言われています。その時の姿を表したのが「角大師」と言われる2本の角を持ち、骨と皮とに痩せさらばえた鬼の絵なのです。おそらくどこかでご覧になった方がおおいのではないでしょうか。この鬼の絵は魔除けとして家々に貼る習慣があるようです。
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