大江戸散策徒然噺 Introducing Japanese culture and history

豊かな歴史に彩られた日本の文化と歴史を紹介

「厄除けの御祖師さま」は浅草観世音に並ぶ西の霊験名刹~堀之内妙法寺(日蓮宗本山)~その壱

2012年07月23日 23時22分44秒 | 杉並区・歴史散策
先日に引き続いて中央線沿線若しくは地下鉄丸ノ内線を利用して東京都心から少し西へいった杉並界隈の名刹・古刹巡りの旅を楽しんでいます。

山門

さて、今日のお題は日蓮宗の本山として名高い杉並・堀之内の妙法寺なのですが、これまで日蓮聖人と深くかかわりのある名刹といえば中山法華経寺そして池上本門寺と訪ね歩いてきました。聖人様とのかかわりの強さからいえば、法華経寺と本門寺さんは聖人ご本人様が直接その足跡を残している場所に堂宇を構えていることで別格なのですが、ここ堀之内妙法寺さんは聖人様の「祖師像」が安置され、その祖師像が厄除けにたいへんご利益があることで多くの人々から信仰の対象になっているようです。そのため江戸時代には「参詣群衆すること浅草の観世音に並べり」と記されているほど多くの参詣客で賑わっていたそうです。

当山妙法寺の開基は今から三百数十年前の江戸時代の元和の頃といいますからちょうど第二代将軍秀忠公の御世です。それ以前、当寺は現在の日蓮宗ではなく真言宗の尼寺で開基は日圓法尼という尼さんです。そして元和年間(1615年 - 1624年)の日逕上人の頃、日圓法尼の菩提のため、日蓮宗に改宗し老母を開山とし、日逕上人自らは開基第二祖となられたという縁起が残されています。山号は開山日圓上人にちなみ日圓山と称し、妙法寺を寺号したのです。

そんな妙法寺は地下鉄丸ノ内線の新高円寺駅から南に15分ほど歩いた住宅街の中に広い境内と見事な堂宇をもって堂々とした伽藍を見せています。

山門
右仁王像
左仁王像

その顔となるのが当寺の山門である「仁王門」です。みるからに名刹の顔といった風格を醸し出している門で東京都の有形文化財に指定されています。門の創建は古く、4代将軍家綱公の御世の天明7年(1787)の頃。そして門の左右には家綱公が寄進したとされる金剛力士像(仁王様)が安置されています。

鉄門

この山門をくぐり右手へ進むと寺院らしからぬデザインの門が現れます。といっても門の前に埒が置かれ、鉄扉が開けられているので全体像としての美しさが若干損なわれているかな、といった感じなのですが、これが有名な「鉄門」です。なんと国の重要文化財に指定されているものなのです。

扉の上の鳳凰

実はこの門はあの有名な英国人建築家のジョサイア・コンドルが設計したもので、彼が得意とする和洋折衷様式を用いたかなり斬新なデザインなのです。扉の一番上には極彩色の鳳凰が翼を広げ、左右の門柱の上には日蓮聖人と思われる像が置かれています。この鉄門の向こうに見えるのがご本堂の玄関口である「大玄関」です。この大玄関はめったに使われることがなく、特別な行事があるとき以外はこの鉄門をくぐることもできません。

祖師堂

鉄門をあとに境内の中心へと移動すると、目の前に堂々とした姿で構えるのが当妙法寺のシンボルでもある「祖師堂」です。このお堂のなかの御簾の奥にご本尊の「祖師御尊像」つまり「やくよけ祖師像」が奉安されています。この祖師像は多くの信者からは親しみのある「おそっさま」という名前で呼ばれています。ご本堂の中に靴を脱いで入ることができます。正面の金襴の布で隠された御簾をはじめ、目を上に移すと金箔の天井とまさに絢爛豪華な世界が広がっています。

常夜灯と祖師堂
祖師堂

お祈りを済ませた後、実は当寺で最も拝見したいものを思い出し、お坊さまにそれを見ることができるかを尋ねてみました。「それ」とは江戸時代に将軍が鷹狩の際に当寺に立ち寄り、休憩の場として使われたお部屋で「御成の間」のことなのです。お坊さまに総受付で見学を申し込むように言われ、胸のなかで「やった!」と叫び、そそくさと総受付へ向かうことにしました。

祖師堂からいったん離れ、再び鉄門前をとおり「総受付」の玄関へ進みます。一瞬入りずらそうな雰囲気を漂わす玄関なのですが、思い切って中に入り、「御成の間」の見学が可能かどうかを訪ねると、快く「ご案内します」と言われ、長い廊下をお坊様に先導されながら進んで行くと、時代劇で登場するような見事な「書院造りの間」が現れました。

写真撮影が許されないので、妙法寺さんのHPの中の画像をご覧になってください。
http://www.yakuyoke.or.jp/place/index.html#a3

お坊様が電気のスイッチを入れると証明に照らされて御成の間が鮮やかに浮かび上がります。上段の間と下段の間の境の黒塗りの部分は鏡のような漆が塗られ高貴さを漂わせています。さらに部屋の天井全体にはたくさんの「雁」が飛び交う絵が描かれ幽玄な世界を造りだしています。またお部屋の周囲の障壁画や床の間の絵はかなり色が褪せてしまっているのですが、わずかながらその絵の輪郭を読み取ることができます。これらの絵は狩野幽玄常信の筆によるものでたいへん貴重なものです。

このお部屋をお使いになった将軍は第11代将軍家斉公が文化14年(1817)四月と文政2年(1819)の2回と第12代将軍家慶公が天保10年(1839)と弘化3年(1846)の2回、更には御三卿の一ッ橋家、田安家の御膳所としても使われました。そして将軍になる前の慶喜公も嘉永2年(1849)に訪れ、ここで太神楽を上覧しています。
尚、この書院造の「御成の間」も東京都の有形文化財に指定されているものです。

さらにこの御成の間の隣のお部屋にも案内をしてくれたのですが、ここには日露戦争後、日本帝国海軍の四提督が揃ってここ妙法寺を訪れて慰霊の式典を催したときの絵が展示されていました。

妙法寺の見どころはまだまだたくさんあります。このつづきは(其の弐)をご覧ください。

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