名古屋市内の繁華街で代表的な「栄」は東京で言えば「銀座通り」に相当し、近代的な建物が通りを挟んで立ち並び、人気の有名ブランド店が軒を連ねるお洒落な繁華街といったところです。
名古屋市内についてはそれほど詳しくない私にとって、繁華街といえば「栄」しかないと思っていたのですが、その「栄」からさほど離れていない場所にまるでお江戸の浅草を彷彿させるような(見方によっては浅草よりも図抜けているかも!)それはそれは巨大な商店街が連なる場所があることを今回初めて知ったのです。
その名を「大須」というのですが、実はこの場所は霊験あらたかな観音様を祀る「北野山真福寺寶生院」の門前町として発展した歴史を持っているのです。ということはお江戸の浅草寺と同じように古くから庶民に親しまれた寺であり、遊興の場所であったことがうかがわれます。
大須観音ご本堂
市内の幹線道路である若宮通りから伏見通へ入るとすぐ左手に大須観音の西参道入口が現れます。お江戸の浅草と同じようにご本堂にいたる参道にたくさんの店が軒を連ねている「仲見世」のような世界を期待していたのですが、伏見通からわずかな距離に西門が現れすぐに境内に入ってしまいました。
大須観音西門
西門をくぐると目の前に朱色に塗られた大きな大きなご本堂が現れます。これがご本尊である聖観音を祀る「大悲殿」と呼ばれているご本堂です。
大須観音ご本堂
大須観音ご本堂
大須観音の歴史を紐解いて見ると、創建は元亨四年(1324年)と古く、もともとは尾張国長岡庄大須郷(いまの岐阜県羽島市大須)にあり、御開山は能信上人(のうしんしょうにん)です。能信上人は開山にあたり、伊勢大神宮に百ヶ日間こもり祈りの日々を過ごしていたのですが、ある夜見た霊夢に、「大慈大悲の観世音こそは利益無量、この世の人びとに、もっともありがたいお方である」とのお告げをえられ、そのうえ観世音の貴い姿を拝されたと伝えられています。
そしてその観世音の姿は弘法大師ゆかりの摂州四天王寺の大慈大悲の観世音菩薩に寸分たがわぬ御尊影であったのでした。その話を伝え聞いた時の帝、後村上天皇の詔によって摂州四天王寺の観世音菩薩が北野山真福寺寶生院に移され、それ以降ご本尊と仰ぐこととなったのです。
寶生院がこの場所に移ってきたのは慶長17年の頃で、神君家康公が名古屋を建設するにあたってこの地に移したと言われています。
そんな霊験あらたかな観音様が祀られているご本堂は見上げるように聳え、まるで私たちを包み込むように建っています。1月半ばのこの日、境内にはお参りに訪れる人で賑わい、ご本堂前にはお参りの長い列ができていました。比較的若い方が多かったのは受験シーズンでもあり合格祈願に訪れていたのではないでしょうか。

お参りを済ませご本堂の石段上から境内を俯瞰すると、南側に立派な仁王門が構えています。ということは仁王門に通じる道筋に仲見世のような店が並んでいるのではと思ったのですが、それらしい街並みは広がっていませんでした。
仁王門
この仁王門の脇に建っているのが「鐘楼堂」です。鐘楼堂自体は古く感じるのですが、吊るされている鐘は地元の婦人会の手により昭和41年に鋳造され寄進されたものだそうです。
鐘楼堂
一通り境内を散策した後、噂に聞く大須商店街の散策へと向かうことにしました。門前町を形成する商店街は境内の東側に広がっています。それも一筋ではなく二筋に分かれてアーケード形式の商店街が続いているのです。
境内俯瞰
名古屋の人に言わせれば「名古屋のアメ横」と呼んでいるようですが、東京人の私に言わせればアメ横ほどの「闇市」的な雰囲気ではないような気がします。全体的に衣類関係と屋台的な飲食店が多く、散歩がてらに屋台に立ち寄り、立ち食いや歩き食いを愉しめる商店街といったところです。
商店街の風景
訪れたのがたまたま日曜日だったので、大須観音詣でのついでの参詣客やはたまた一見して中国からやってきた観光客などでたいそう賑わっていました。洗練された「栄」の通りに比べ、下町的な情緒を愉しめる場所として是非一度行かれてみることをお勧めいたします。


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名古屋市内についてはそれほど詳しくない私にとって、繁華街といえば「栄」しかないと思っていたのですが、その「栄」からさほど離れていない場所にまるでお江戸の浅草を彷彿させるような(見方によっては浅草よりも図抜けているかも!)それはそれは巨大な商店街が連なる場所があることを今回初めて知ったのです。
その名を「大須」というのですが、実はこの場所は霊験あらたかな観音様を祀る「北野山真福寺寶生院」の門前町として発展した歴史を持っているのです。ということはお江戸の浅草寺と同じように古くから庶民に親しまれた寺であり、遊興の場所であったことがうかがわれます。

市内の幹線道路である若宮通りから伏見通へ入るとすぐ左手に大須観音の西参道入口が現れます。お江戸の浅草と同じようにご本堂にいたる参道にたくさんの店が軒を連ねている「仲見世」のような世界を期待していたのですが、伏見通からわずかな距離に西門が現れすぐに境内に入ってしまいました。

西門をくぐると目の前に朱色に塗られた大きな大きなご本堂が現れます。これがご本尊である聖観音を祀る「大悲殿」と呼ばれているご本堂です。


大須観音の歴史を紐解いて見ると、創建は元亨四年(1324年)と古く、もともとは尾張国長岡庄大須郷(いまの岐阜県羽島市大須)にあり、御開山は能信上人(のうしんしょうにん)です。能信上人は開山にあたり、伊勢大神宮に百ヶ日間こもり祈りの日々を過ごしていたのですが、ある夜見た霊夢に、「大慈大悲の観世音こそは利益無量、この世の人びとに、もっともありがたいお方である」とのお告げをえられ、そのうえ観世音の貴い姿を拝されたと伝えられています。
そしてその観世音の姿は弘法大師ゆかりの摂州四天王寺の大慈大悲の観世音菩薩に寸分たがわぬ御尊影であったのでした。その話を伝え聞いた時の帝、後村上天皇の詔によって摂州四天王寺の観世音菩薩が北野山真福寺寶生院に移され、それ以降ご本尊と仰ぐこととなったのです。
寶生院がこの場所に移ってきたのは慶長17年の頃で、神君家康公が名古屋を建設するにあたってこの地に移したと言われています。
そんな霊験あらたかな観音様が祀られているご本堂は見上げるように聳え、まるで私たちを包み込むように建っています。1月半ばのこの日、境内にはお参りに訪れる人で賑わい、ご本堂前にはお参りの長い列ができていました。比較的若い方が多かったのは受験シーズンでもあり合格祈願に訪れていたのではないでしょうか。

お参りを済ませご本堂の石段上から境内を俯瞰すると、南側に立派な仁王門が構えています。ということは仁王門に通じる道筋に仲見世のような店が並んでいるのではと思ったのですが、それらしい街並みは広がっていませんでした。

この仁王門の脇に建っているのが「鐘楼堂」です。鐘楼堂自体は古く感じるのですが、吊るされている鐘は地元の婦人会の手により昭和41年に鋳造され寄進されたものだそうです。

一通り境内を散策した後、噂に聞く大須商店街の散策へと向かうことにしました。門前町を形成する商店街は境内の東側に広がっています。それも一筋ではなく二筋に分かれてアーケード形式の商店街が続いているのです。

名古屋の人に言わせれば「名古屋のアメ横」と呼んでいるようですが、東京人の私に言わせればアメ横ほどの「闇市」的な雰囲気ではないような気がします。全体的に衣類関係と屋台的な飲食店が多く、散歩がてらに屋台に立ち寄り、立ち食いや歩き食いを愉しめる商店街といったところです。

訪れたのがたまたま日曜日だったので、大須観音詣でのついでの参詣客やはたまた一見して中国からやってきた観光客などでたいそう賑わっていました。洗練された「栄」の通りに比べ、下町的な情緒を愉しめる場所として是非一度行かれてみることをお勧めいたします。


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