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大江戸散策徒然噺 Introducing Japanese culture and history

豊かな歴史に彩られた日本の文化と歴史を紹介

中山道木曽路・奈良井宿の老舗旅籠「伊勢屋」体験記

2013年07月19日 12時15分55秒 | 木曽路十五宿街道めぐり
古い町並みが残る宿場町に泊まるという経験はこれまで一度もありません。今回、女房と二人で木曽路を巡る旅(徒歩ではありません)を計画し、是非、奈良井宿に泊まりたいという願いを果たすことができました。



おそらくバスツアーでは到底叶えられない宿場町での宿泊は思いもよらぬ体験と感動を味わうことができました。

奈良井宿にはホテルなどという代物はまったくありません。あるのは昔ながらの旅籠でその数も知れています。そんな数少ない旅籠の中でも歴史ある宿の一つである「伊勢屋さん」を一夜の宿として選びました。



伊勢屋さんの建物はなんと文政元年(1818)に建てられたもので、奈良井宿を代表する歴史的建造物です。もともと伊勢屋さんはここ奈良井宿内で下問屋をつとめていたお家柄で、江戸時代には建物の中には問屋らしく牛馬をつなぐスペースもあったようです。

そんな伊勢屋さんは宿内を貫く旧街道に面して、千本格子が美しい外観と店先に置かれた常夜灯が古き昔の風情をこれでもかと醸し出しています。

暖簾をくぐると建物をまっすぐに貫く通路が裏手へと延びています。どことなく京都の町家のような造りです。「ごめんください」と声をあげると、宿の若旦那がいそいそと出迎えてくれました。

素朴な立ち居振る舞いの若旦那がいうには、200年前からある建物で、母屋にもお部屋があるのですが、夏場は暑いので離れのお部屋を準備しているとのこと。母屋の内部は太い梁が目立つ重厚な建物で、黒光りした階段が2階の部屋へと通じています。
2階の部屋を見たければ自由にあがることができます。2階へとつづく階段をあがると屋根裏の梁がむき出しになっている様子をみることができます。



若旦那案内で裏手にある離れの部屋へと向かいます。今日の宿泊客はわずか4組とのこと。一組はブラジルからやってきた2人の若者。お部屋は6畳の畳敷きで、夫婦二人にはちょうどいい大きさです。離れは比較的新しい造りでかつての旅籠造りとは違います。

部屋にはクーラーの設備はありませんが、夜になると空気が冷えるので必要ないとのこと。念のため扇風機は部屋の中にあります。

もちろん風呂やトイレはお部屋にはありません。家族風呂が準備されています。温泉が湧き出しているわけではないので、普通のお湯ですが、どういう訳だか風呂は常に勢いよく熱いお湯が出っ放し。湯船は木曽五木のひとつ、コウヤマキで作られ、ゆったりとした広さを持っています。

贅沢に、そしてふんだんに流れるお湯を遠慮なく使い、今日一日の汗を流しました。

そしていよいよ楽しみの夕食です。食事処は母屋の1階にある大広間です。本日は宿泊客が4組ということでテーブルが4つ並べられています。そのテーブルの上には美味しそうな山の幸が並んでいます。



季節の野菜の煮物、近くの山で採れたキノコ、鯉の洗いと鯉の唐揚げのあんかけ、とろろそば、野沢菜の甘煮など結構な量です。
久しぶりに出会った素朴な味わいのある夕食を楽しむことができました。

夕食が終わると、奈良井の宿は帳がおり、宿全体が漆黒の闇に包まれます。というのも宿内には街頭といった無粋なものがないので、都会では味わえない「真っ暗」な世界が広がっています。



きっと電気がなかった時代と同じような状況が平成の世でも味わえるのが、木曽路の奈良井なのでしょう。



そんなめったに味わえない状況を写真に収めました。ほんとうに真っ暗なのでフラッシュを使用したので少し明るく撮れていますが、実際は本当に暗いのです。

奈良井宿夜の景

奈良井宿夜の景

夜が更けていくと奈良井宿は無音、静寂の世界へと溶け込んでいきます。こんな時の流れもあったんだ、と都会に住む私たちにとっては忘れかけていた時代が蘇ってきたような瞬間です。



最後に木曽の山間にひっそりと佇む奈良井の宿は喧噪のなかで暮らす私たち現代人がどこかに置き忘れてきた何かを思い出させてくれる異次元の世界なのではないでしょうか。

ありがとうございました。

《御宿・伊勢屋》

http://www.oyado-iseya.jp/
http://www.oyado-iseya.jp/blog.html

〒399-6303 長野県塩尻市奈良井388番地 Tel:0264-34-3051 Fax:0264-34-3156
母屋 和室4室(木造2階建)
新館 和室6室(木造2階建)
ご宿泊 30名まで
宿泊 お一人様 一泊二食付 9,000円~
(お一人様での宿泊の場合 9,500円)
(料金はサービス料、消費税込み)
チェックイン  PM3:00
チェックアウト AM10:00
 ※小学生以下のお子様(乳幼児を含む)を
 ご同伴の場合は予めお知らせください。
無料駐車場あり(10台)

中山道木曽路・静かな妻籠宿の佇まい
中山道 木曽路「奈良井宿」





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中山道木曽路「奈良井宿」

2013年07月19日 10時56分24秒 | 木曽路十五宿街道めぐり
妻籠宿の古い佇まいを堪能し、いよいよ木曽路の最大のハイライトと思われる「奈良井宿」へ向かうことにしました。

奈良井宿内の光景

JR南木曽駅に戻り、14時34分発の普通列車に乗り、所要1時間23分で奈良井駅に到着します。奈良井到着時間は15時57分ですが、夏の太陽はまだ高く、日暮れまでにはかなり時間があります。

奈良井駅ホーム
JR奈良井駅

奈良井で降りる乗客は私たちを含んでほんの数人しかいません。夏休み前の平日ということでそれほど多くの観光客がきていないようです。

昔ながらの小さな駅舎が私たちを迎えてくれます。ここも南木曽駅と同じように駅員がいません。

古い町並みが残る奈良井の宿は駅からほんのわずかな距離から始まります。ほとんど駅に直結していると言っていいほどの距離です。
古い宿の町並みが始まる入口に立つと、旧街道が一直線に宿内を貫通している様子を見ることができます。その宿内の様子を見ると午後4時という時間にもかかわらず、観光客どころか住民の姿も見えないほど閑散とし、まるでゴーストタウンに来てしまったような雰囲気を漂わせています。

木曽路の奥深くまでやってきたような思いが強く感じるのがここ奈良井宿です。緑濃い山並みが宿を貫く旧街道 の右手に迫っています。そして旧街道から見えませんが左手には奈良井川が清らかな流れをつくり、その川の背後には美しい木曽の山並みが屏風を立てたように連なっています。

人影のない宿内

狸しかいない宿内

宿内の様子

あまりの静けさに、本当に人が住んでいるのかとつい思いたくなるような佇まいです。

宿内の旧街道には電信柱がないのでスッキリしています。静かな宿内を歩いていくと、聞こえてくるのが水の流れる音です。耳を澄ますと街道の下から勢いのある水の流れる音が聞こえてきます。本来であれば街道の両端にあったと思われる水路が暗渠になってしまったようです。

宿内へと進んで行くと、処々に「水場」が置かれています。ストレートに飲むことはお勧めできません。煮沸すれば飲めるということのようです。この水場は宿内の住民の方々が水撒きや鉢植えなどに水をさすために使われているようです。

それにしても行きかう人の姿がまったくありません。ほんとうに不思議な光景です。それでも宿内の両側に並ぶ家々は人が住んでいると思われる気配は感じます。時折現れる土産物屋さんも扉を開き営業をしています。

宿内の様子

奈良井宿は江戸口から京口までおよそ1kmにわたって形成されている宿場町です。その区間に昔ながらの千本格子を構えた家々が肩を寄せ合うように並んでいます。

宿内はゴミ一つ落ちていないほど清潔感に溢れ、家々の前には可愛らしい花弁をつけた草花が置かれ、町全体が歴史の博物館といった雰囲気を漂わせています。

ふつうの街では道のあちらこちらに様々な自動販売機が置かれているのが普通なのですが、ほとんど見かけることがありません。そして都会では次から次へと現れるコンビニも奈良井の宿内にはありません。

ということは簡単に飲み物などを入手することができないということに気が付きました。飲料水の自動販売機はわずかながら置かれていますが、その販売機も街道側に正面に向けられていないものもあります。やはりこの奈良井の宿には自動販売機は無粋なのでしょう。

そんな町の雰囲気を楽しみながら、まずは今日のお宿である「伊勢屋さん」へと向かい、草鞋を脱ぐことにしました。
伊勢屋さんの様子は別ページでご紹介いたします。

旅籠「伊勢屋」

伊勢屋さんに宿入りした後、夕暮れまでさらに宿内の散策を楽しむことにしました。

伊勢屋さんは宿内のちょうど真ん中あたりに店を構えています。ということは江戸口から500mほどの距離です。残り500mを歩けば京口に至ることになります。

宿を出て京口へと向かうのですが、ほんとうに人の姿を見ることがありません。奈良井宿を独り占めしているような感じです。
これも時間が制約されるバスツアーではなく自由きままな個人旅行であるが故のご褒美のような気がします。

伊勢屋さんから京口へ向かうこと僅かな距離で右手に「手塚家」と呼ばれる立派な建物が現れます。ここ手塚家はなんと慶長7年(1602)から明治に至るまで奈良井宿で問屋をつとめた名家のようです。家の前には明治天皇が行在所として使われたことを記念した石碑が置かれています。

手塚家

そしてさらに進むこと100mほどで宿内に設けられた「鍵の手」にさしかかります。それまで一直線に宿内を貫いてきた街道はここで大きく折れ曲がり、京口へとさらに続いています。

鍵の手

「鍵の手」はいわゆる枡形の一種です。宿内を貫く街道を入口から出口まで一直線に造ってしまうと、有事の際簡単に攻め込まれてしまうことを防ぐため、道を大きく曲げ進入を妨げるためのものです。

鍵の手からほんの少し歩いた右側の奥まったところに山門を構えるのが、奈良井五ケ寺の一つである「淨龍寺」です。
門前の説明書きによると当寺は元禄2年の5月27日にあの将軍家に献上する「茶壺」が逗留したと記録され、その後も毎年当寺に茶壺が逗留したそうです。

淨龍寺ご本堂

淨龍寺を過ぎておよそ100mほどで奈良井宿の京口に至ります。そんな場所に置かれているのが「高札」です。もちろん復元されたものです。

高札

この高札を過ぎると右手に奈良井の鎮守である鎮神社の赤い鳥居が目に飛び込んできます。神社入口に置かれた常夜灯越しに奈良井宿の家並みと宿を貫く街道が一直線に延びる様子が窺えます。

そして京口から京都へと向かう道筋は急に勾配をあげて、中山道中の最大の難所である鳥居峠へと続いています。そんな勾配がきつくなる道筋の脇から旧街道の石畳道があるようですが、日暮れ間近のため石畳道の散策は断念しました。

わずか1km足らずの宿内はほとんど平坦な立地ですが、宿内を抜けるとあっという間に登り坂が始まる奈良井宿は木曽谷の僅かな平坦地に造られた箱庭のような宿場町なのです。

鎮神社の鳥居

京口の常夜灯

わずか1kmの長さの奈良井宿なのですが、江戸口から京口まで出会った人の数はほんの数人という極めて稀な経験をさせていただきました。

閉店間近の漆器屋さん

夏の陽もやや西に傾き、宿内のほとんどの店は戸を閉めてしまい、静寂の度合いが増してきます。都会住まいの我々にとってはめったに経験できない静けさです。おそらくこの体験は忘れそうにありません。

再び宿内を辿り江戸口方面へと戻ることにしました。というのも宿に沿って流れる奈良井川に見事な木橋が架けられているといいます。それではということで見に行くことにしました。

同じ道筋を辿ることになるのですが、何度通っても飽きることはありません。いったん宿の江戸口まで戻り、ここから街道をそれて奈良井川の畔へと降りていきます。およそ200mほど歩くと大きな広場が現れ、その向こうに見事な「太鼓橋」が姿を現します。
橋の名前は「木曽の大橋」と呼ばれ、総檜造りの贅沢なものです。

木曽の大橋

さあ!そろそろ夕食の時間が迫ってきました。夕闇迫る静かな宿内をそぞろ歩きしながら宿に向かうことにしました。



中山道木曽路・静かな妻籠宿の佇まい
木曽路・奈良井宿の老舗旅籠「伊勢屋」体験記





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中山道木曽路・静かな妻籠宿の佇まい

2013年07月18日 16時55分52秒 | 木曽路十五宿街道めぐり
賑やかな名古屋をあとに、いよいよ中央本線で中山道木曽路の旅へ向かうことにしました。

この日は中山道42番目の宿場町である妻籠に立ち寄り、34番目の宿場町「奈良井宿」に泊まる行程を組むことにしました。
もちろん妻籠宿から奈良井宿間はかなりの距離があるので徒歩ではなく、列車での移動です。

名古屋を8時31分に出発した普通列車は9時45分に中津川に到着します。25分の乗継で10時10分の中津川始発で妻籠宿至近の南木曽へと向かいます。

静かな雰囲気を漂わす中津川駅前からは馬籠宿へ向かうバスが出ているようですが、今回は馬篭はパスして妻籠へと向かいます。

妻籠宿俯瞰

中津川から妻籠に近い南木曽駅までは普通列車で18分の距離です。南木曽到着は10時28分です。この辺りを走る中央線はワンマン運転のようで、午前中の時間帯にもかかわらず駅員の姿がありません。

JR南木曽駅

無人の駅舎の隣に観光案内所があり、その前に小さなバスターミナルが置かれています。妻籠までのバス路線は「おんたけ交通」というバス会社が運行しています。

JR南木曽駅前

妻籠行おんたけ交通バス

ちょうどいい乗継時間で妻籠行のバスが出発します。10時40分に南木曽駅を出発してものの10分で妻籠宿入口に到着します。
南木曽から妻籠までの距離は3.9㌔ほどなのですが、歩くと40分はかかります。歩いていくだけの体力がないので当然バス移動です。

妻籠宿入口

妻籠宿入口バス停からはほんの少しの登り坂を辿ると、宿場を貫く中山道に出てしまいます。おそらく昔から変わらない街道の道幅なのでしょう。ほぼ平坦な街道が宿内を貫通し、その街道の両側にはかつては旅籠であったような家が軒を連ねています。

妻籠宿路地

妻籠宿家並み

平日の午前中ということもあって観光客はまばらで、静かな宿場の雰囲気を楽しむことができそうです。

まずは南木曽寄りの宿場の出入り口に立つ「高札場」へと行ってみることにしました。もちろん復元されたものなのですが、おそらく当時の大きさを忠実に再現したものと思われます。その幅5m、高さ3.5m、奥行き1.5mはあるのではないかと……。
ただ実際に高札場が宿の出入り口に置かれていたのかは定かではありません。

高札場

ここ妻籠宿は文科省が指定しいる「重要伝統的建造物群保存地区」で、妻籠宿以外には福島の大内宿と同じ木曽路の馬籠宿が同じように指定されています。

中山道に沿って両側に古い家並みがつづく光景はまるで古い時代に舞い戻ってしまったかのような錯覚すら覚えます。ましてや幸運にも人通りがほとんどない宿場は気持ち悪いほど静まりかえっています。

静かな家並み

そしてなによりもこの景観が古さと郷愁を誘うのは、道筋に電信柱がまったくないことと街道の端に水路が流れ、気持ちの良いせせらぎの音が醸し出す雰囲気ではないでしょうか。お店の方に電信柱はどこにあるのかを尋ねると、家々の裏側に移動したとのことです。

数十年前まではこの古い家並みの前を路線バスが走っていたといいます。ときにはバスが軒先を壊すこともあったようです。
現在は乗用車は通りますが、バスなどの大型車両の通行は禁止されているようです。

静かな宿内を京口へと向かって進んで行くと、左手に妻籠宿本陣、右手に脇本陣奥谷が現れます。ということはこの辺りが宿のほぼ中心だったところではないでしょうか。

妻籠宿本陣前

そしてさらに道を辿ると、旧街道が大きく右手に折れる「枡形」にさしかかります。枡形は右手に下るように緩やかな坂道となり、その先にはさらに古い家並みがつづいています。

宿内の枡形にて

ちょうどこの枡形辺りから京口へと至る区間が「寺下の町並み」と呼ばれる地域で、ここ妻籠で最初に保存事業が行われた場所で妻籠宿の保存の原点といわれています。

寺下の町並み

寺下の町並みにて

この「寺下の町並み」も人通りが途絶え、私たち夫婦だけが宿内を歩いているという何とも不思議な光景が目の前に現れます。なんとも贅沢な時間です。

寺下の町並み

現在私は東海道五十三次を歩いていますが、日本橋から駿河の原宿までの区間で妻籠宿のような古い街並みがそっくりそのまま残っている宿はまったくありません。

山間を縫うように辿る中山道ならではの光景なのでしょう。とはいえ木曽路11宿すべてが昔の風情を残しているわけではないはずです。初めて足を踏み入れた木曽路で出会った貴重な街並みは喧噪渦巻く大都会で暮らす我々にとって異次元の世界へ舞い込んだような錯覚を覚えます。

若干、後ろ髪を引かれる思いで妻籠宿に別れを告げて、本日の宿泊地である「奈良井宿」へ向かうことにしました。

木曽路・奈良井宿の老舗旅籠「伊勢屋」体験記
中山道 木曽路「奈良井宿」





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